長より質。

量より質。これはもう多くの人が感じていることだろう。
食事にしても、着るものにしても、友人も・・・量よりも質。
いいものと暮らしたい。いい人とつきあいたい。
と、大変贅沢なことであるが、そっちの方が、心が豊かで幸せであると
年を重ねるごとに思うようになってきた。
何でも数字を追い求める時代は終わった。
高度成長とか未だにいっているが、数字の伸びばかり気にしていると
全体を見失い、バランスが崩れる。
数字よりも、むしろ中身。

そんな面から、長寿社会についても考えてみる。
最近、とても気になっている人生の価値。

テレビなどでは、お年寄りを見れば
「長生きしてくださいね~」
とかよく言う人が多いけれど、
本当かな。と日々思えてならない。

長いだけの人生は無駄。長いだけの人生は周囲に迷惑。
なこともある。
一概にそうとはいえないが、そういうこともある。あり得るということだ。

人は長生きしたいという欲求をもっている。不老長寿は永遠の願い。

でも、それは短命であった時代の憧れではないだろうか。

今は医療の進化により、人間は社会のシステムのなかで、長生きさせられるようにできてしまっている。長寿が可能になってしまう。
果たして、これは本当にいいことだろうか。

長生きよりも、長さよりも、今が充実していることがより幸せだと思う。

長生きしても、謙虚さや感謝もなく、いつまでも自分は自分は・・・と
生きる人生・・になってしまっては、孤独な終末を迎えることになる。

頑張ってきた人がゆっくり余生を暮らす。これが老後の時間。
自らの老後を覚悟して、長生きすることも想定して、出来る限り人に迷惑をかけない生き方をする。準備をする。これも含めて、人生なのだ。

長より質。最近、つくづく思う。
何を思い、何を行い、何を遺すのか。
今からなら、まだ間に合うか。
生きるとは、最後が大切。
いかに収束、終息させるのか・・・。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク