終活伴走

人生、終わるまで、なりゆきでわが道をいく。
そんな人に今、向き合っている。

終活ということばが生まれ、高齢化社会ではそれも長生きするための必要条件として馴染みもあるが、実際死を考えたく無い人には、「終活」この考えは難しい。

でも体力気力が失せることで、もう無理かな。と思った時点で自分でいろんな始末ができなくなり、急に焦る。

今、親のいろんな始末について格闘している。
パズルになった言葉を想像しながら、無理やりつなぎ合わせ、何がいいたい、したいのかと考え、対応策を練る。


いやはや、年をとるとコミュニケーションがいろんな意味で難しくなる。
今回、それを毎日痛感し、コミュニケーションクリエイターではなく、
コミュニケーションクルシミマスワー状態になっている。

ものがうまく伝えられない人の最期をなんとかするというのは、
なかなかのハードワーク。
普段の仕事を思いっきり気分転換のチャンスを想って取り組みながら
今、親の終活を伴走中。
毎日闘いだ。でも、これをクリアすれば、もっとコミュニケーションのことを
理解できるだろうか。いろんな意味でプラス志向で、いくしかない。

モノがいえるうちに、耳が聞こえるうちに、モノが書けるうちに、
動けるうちに・・・。

それが一番大切だ。まずは目の前の反面教師を見ながら、わが襟を正し、
現実に向かっていくとしよう。

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