不要不急。でも一生ものの商品を扱う仕事。

最近、デパートの催事場で出会った、ある画商さん。
私の好きな藤田嗣治の作品を中心に、ピカソやルオー、ミュシャ・・などヨーロッパの名作をそろえての即売会。
値札さえついていなければ、立派な美術館。しかもそこで観るのは無料。
考えようによっては、デパートの美術品売り場や即売会は、超限定の移動美術館でもある。だから、昔からよく足を運んだ。目的をもってチケットを買って行く美術展よりも、知らない作家、未知の世界と出会うこともあり、大変有意義だ。
とくにコロナの影響で、美術館が長期休暇であったため、アート不足な日々にストレスも感じており、この催事の開催を知って、正直ほっとした。でも、コロナの影響で、食品フロアのような賑わいはなく、ひっそりしていた。

人影がほとんどない絵画の即売会に足を踏み入れるのはちょっと緊張もする。でも、展示されている作品が好きなジャンルであり。つい、引き込まれた。そしてある作品の前に立ち止まった私に、その画商さんが背中の方から絵について少し解説をされた。この最初の一言はとても重要だ。おそらく、いつ声をかけようかとずっと様子を伺っておられたのであろう、その後何枚かの絵を見ていると、さりげなく、その人は作品について少しづつ丁寧に、解説を始めた。
聴いていると、話し方も含め、その語り口が素晴らしい。作品のことを社会情勢と作家の人生と絡めてわかりやすく話される。とくに戦前と戦後の作品の違いについての説明は大変興味深く、まるで美術館で学芸員からツアーで説明を受けているような感じであった。芸術とは世のなかの変化とともに存在し、そして作家という人を通じて、表現される世界であることを改めて認識。ついつい、こちらもいろいろ質問をしたり、藤田の生誕50周年の話題や、藤田が終の棲家としたランスの話などで、しばし盛り上がり、打ち解けた。
他にお客さんもおられなかったせいで、貸し切り状態となり、随分と話を聴くことができた。画商という仕事はこの対話が重要なのだろう。どこまで語れるかが商売の成否を決める。値段ではなく、価値。まさにここをどう伝えることができるのか。
この方は、フランス美術に精通されており、また地元っぽくない品を感じたため、たずねてみると、東京の画商で修行を積まれ、フランスとのパイプももち、3年前に独立された方であることがわかった。
デパートでのデビュー戦として出展したはいいが、同時開催であったはずの近隣の美術館の企画展も中止となり、デパートの営業もコロナで自粛・・・と思っていないデビュー戦となった。
しかし、その方は大変前向きで、「いいんです。こんなときのデビュー戦。
ま、ひとりお祭りとして、盛り上がろうと思っています。」笑いながら話してくださる。きっと心中は複雑な思いでおられたと思うが・・。

画商という仕事。作品を売ることをすすめる仕事。作品を入手する立場になれば
美術館で見るのとは違い、作品を購入するというのは、作品と長いつきあいになるので後悔することになってはいけない。直観で買ってはいけない。などなどなるほど・・と新たな勉強にもなる。

すいているので、ゆっくりお話しできた。
でも、さすがに作品を洋服を買うように、衝動的には購入できない。
でも、今回の出会いで何か新たな世界が広がる予感がした。

絵画を通じてフランスをはじめとするヨーロッパのアートを学び、愛する方とのご縁は貴重だ。私のグラン・ルーも生まれはパリだ。

作品の魅力を伝え、販売する。この仕事は、学芸員の仕事とはまた違う。
また売ろうとしてはいけない。価値の伝え方・・ここは、大変重要である。
なんだか我慢の、修行の世界にも思えてくる。

不要不急の商品を扱う仕事。
車や住宅もそうかもしれない。絵画というジャンルもそうなのだろう。
車や住宅以上に、100年経っても価値があるものを扱う。
不要不急だからこそのお宝。人間の心を豊かにするアート。
おうち〇〇が、今人気であるが、おうちでアート。これもひとつのビジネスチャンスともいえる。

コロナのおかげで、いい画商さんとの出会いを得た。
これが、密の展示会場になっていたら、こうはならなかった。
好きな作品を扱い、人々に感動を届ける仕事。まさに夢を売る仕事。
ぜひ、これからも普遍の価値を伝え続け、活躍されることを願っている。
これから藤田の作品をみるたびに、彼を思い出すことだろう。




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