「心を鬼に」の壁。

言いたくないことを言わねばならないとき。
そんなときも、ある。
相手にとって、厳しいこと、つらいこと、耳の痛いこと・・。
それがきっかけで口論になったり、傷つけたりすることもあるかも・・

でも、本当に相手のことを思うから言わねばならないことがある。

それは本当は優しさであり、思いやりである。と、思ってきた。

さて、最近もときに心を鬼にしなければならないことがある。

しかし、相手が高齢者とくに親ともなると、心を鬼にしても、
伝わらないこともあり・・・。自分が本当の鬼に見えてしまうこともある。
わたしははオニじゃないんだよ~。わかってくれ~。
と、そんなことで葛藤する日々・・・。

心を鬼にするということは、相手に期待できるとき。期待しているとき。
相手にもそれを理解し、受け止める力が必要だ。
しかし、弱っている相手には、心を鬼にして・・・は通じない。
そんなこともだんだんわかってきた。
いろんなことが、前と違う、昔と違う。

心を鬼にする・・これは教育の現場では必要だ。
でも、もう長年充分生きて、学びのときを過ぎて、人生のエピローグに
向かう人に対して、心を鬼にするのは適切ではない。
最近、そんなことを思う。
自分に対して、心の鬼になり、耐えたり、あきらめ、赦すことに慣れていかねば
・・・。
と、最近、気になる心を鬼の壁。
これを乗り越えて、とにかく感謝の気持ちだけで、接していけるように。
自分がひとつ成長するための、ステップだと信じて・・・。





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