映画から学ぶ、気づく。

映画館は本当に気の毒だ。連休に向け、大型の作品の上映も予定されていたことだろう。今後も、継続、存続が気になる。
シネコンも、街角にある名画座もひっそりして、悲しい気持ちにさえなる。

一方、ホームシアターは好調だ。BSで連日名画がプログラムされていたり、各種映画専門のチャンネルも豊富であるが、やはり今はAmazonプライムが定番であろうか。
とくにこのコロナでの自粛期間は、これを鑑賞する人も多かったのでは。

私は外出は控えてはいるのになんだか毎日バタバタで、読書も映画も、演奏や創作も進まず、普段と変わらぬ生活で、これではいけないと思っていたところ、
ある方から「パターソン」という映画をすすめられて、やっと観る時間を得た。
懐かしいアメリカ映画。ニューヨーク近郊のパターソンという実在の町が舞台。
ニューアーク空港の近くというから、親近感も沸いた。
主人公はバスのドライバーであるが、実は詩人。その夫妻の日常を描いた、大人の映画だ。静かでとても深く、また癒される名作。
後半には日本人の詩人が登場するところも興味深い。
バス運転業務の合間に、秘密のノートを開き、思い浮かぶ言葉を書き連ねる。
乗務中に車窓から見える景色や、後ろから聞こえる乗客の会話は、すべて彼の詩作のヒントにもなっているようだ。
スマホもタブレットももたない。ノートとペンだけ。そして毎晩、愛犬の散歩をしながら、馴染みのバーに寄り、ビールを飲み、仲間と静かに語る。その時間も詩作に活かされている。
作品の中に時々出てくる詩がとても美しく、そして人間は、紙とペンさえあればいつでも創造することができ、心満たされることを知る。

「書く」という行為はとてもシンプルであるが、内面との対話を可能とする、人間に与えられた貴い力。それさえあれば、充分。
派手にきらびやかに生きるのではなく、社会の中で職業をもちながら、同時に自分らしさを追求する創作活動をすることで、バランスよく幸せに生きることができる。
 この作品を見ながら、心があたたかくなり、幸せな気持ちになった。
そして、自分も書かなくてと。
ノートとペン。これすら持たずに、いつもスマホで暮らしている今を反省し、
あるべき姿を考えねばと思った次第。

映画の中では、マスクをかけた人はほとんどいない。ああ、こんな社会に戻れるのだろうか。そこだけ、見ていて悲しくなってきた・・・。

パターソン。ぜひいつか、訪れたい。映画の舞台にふさわしい町だろう。

映画は見る前と後で自分を大きく変えてくれる。自分にとってはこれさえあれば・・の最高の存在だ。

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