「こんなところにフランシスコ ザビエル教会があるんだ~」と感動したのは、おそらく10数年前だ。香港出張中にジェットフォイルでやってきたマカオのコロアン島という静かな島の海沿いにみつけた黄色い教会。そのときはいたく感動し、ザビエルってここにも来たのかなと思っていた・・・。そして今回、ザビエルの足蹠を確認したく、久しぶりにマカオに出向く。その昔みつけた教会は100年も経っておらず、ポルトガル時代の教会よりはかなり若いが、日本人の殉教者を祀ってきたり、日本人の信徒さんたちにとっては、かなりかかわりのある教会だということを知る。そして名前こそ、ザビエルの名を冠してはいないが、マカオ島に聖ジョセフという名が付く教会・・。そこにザビエルの腕の遺骨があると知り、確かめに行く。マカオはここ10年で大きく変わってしまい、もう来ることはないかなと思っていたが、ザビエルが私を再びこの地に呼び寄せた。そして、そのジョセフ教会、多くの観光客が去ったのを見計らい、教会に入る。誰もいないなか、祭壇を見回すと・・・あった、あった。ザビエルの遺骨が確かに祀ってある。解説もちゃんとある。1552年ザビエルは、マカオのほんの近くの島で亡くなった。その後、ご遺体はもともと拠点であったインドのゴアに戻ったが、そののち、遺骨の一部がマカオにきて、上記のザビエル教会にも一時保管され、そして今はここへ。日本へもっていかれるはずであったものらしいが、禁教時代で日本にはなかなかむつかしかったようだ。それはそれとして、ザビエルが本当に生き、アジアを訪ね、布教されていたことが実感として自分の五感に強く響いた。そして、心の中で「フランチェスコの夢」を歌い、泣きながらその遺骨のある祭壇を見つめ、立ち尽くした。
ザビエルさん、なんで、私はあなたの足跡や影響について、今追いかけているのでしょうか?ひとり、そうたずねてもみた。123つながりでしかない、しかもかなり一方的な123つながりかもしれないが、彼の人生を見つめながら、私は自分の生きている価値を探しているのかもしれない。なんで生きているの?ということについて、ザビエルの歴史に触れることで生きる意味を希求したいのかもしれない。誰もいない、教会のなかで、しばらく泣いていた。マカオには、ザビエル時代の面影がまだある、このままにしておいてほしい。
足跡を追い、骨に出会う。歌は響いたか?
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