何年ぶりか、そしてもうおそらく訪ねることはないだろうと思っていたマカオを台湾経由で訪ねることにする。昔は香港出張の際に、必ず日帰りか1泊でジェットフォイルを使い、かつてポルトガルの植民地であったノスタルジー漂う街を訪れるのがとても好きであった。しかし返還還、だんだんと町は変わり、昔のままのマカオの思い出だけで十分と思うようになった。ここがラスベガスのようになり、大陸からの観光客がわんさと押しかけ、マカオへの興味は冷めていき、しばらくご無沙汰しているうちに、気に入っていたホテルも中国資本の手に移ったことを知り、残念な気持ちはより強くなった。が、今回はザビエルプロジェクトの一環として、再びあのコロアネ島の教会を訪れ確認したかったのと、さらに日本とこのマカオとザビエルイコール西洋世界との関わりについて、またどこまでポルトガルの文化が残されているのか・・・を知りたくて、いつもと違うルートで向かう。思えば15年ほど前、最初にマカオのこの不思議な教会をみつけたときの感激から、わがフランチェスコの夢の旅は始まっていたかもしれず、そのことを再確認したかった。そして大航海時代のポルトガル文化の余韻を確認したかった・・。
東京~高雄~マカオと飛行機を乗り継ぐ。香港経由でないルートは初めてだ。少しでも中国の喧噪を避け、たどり着きたかった。
しかし空港内での喧噪。中国漬けになった町の風景に疲れ、やっとホテルに到着。テレビをONにすると、ドイツの飛行機が、墜落したとのニュースに接し、瞬間固まる。同じ日に同じひとつの空を飛んでいても・・。天候やさまざまの悪条件でまさかの墜落・・・ということもある。オンタイムに、無事に到着したこの身ではあるが、旅のリスクについて改めて考えさせられる。
とにかく、まずは目的どおりに無事についただけでも、喜ばねば。
それにしても、この墜落についても欧米のメディアは夜通しそれを報じていたが、キャスターたちの報じ方にもお国柄が出る。とくにアメリカの番組では大きな事件や事故があると、普段以上に熱く語っているように見えるのが不思議な感じだ。事件や事故についてのメディアの向かい方も、俯瞰してみると興味深い。飛行機事故はテロに匹敵するビッグニュースのひとつだ。間接的であっても、海外に出るときに大きな事件や事故に触れる機会がなぜか多いが、いつもそんなことを感じる。
いつ、自分のこともそんな風に報じられるか。NOとはいえない今日。どんな瞬間をも人災も天災も可能性を否定できないのだから。
同じ日に同じ空を飛んでいて、命を落とすこともある。心からご冥福をお祈りし、わが命今が無事であることに感謝し、しっかり旅の目的を達成しようと思う。どんな事故も事件も明日は、わが身かもしれないことを肝に銘じよう。
同じ空を飛んでいても・・・
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク