音楽仲間とのやりとり。
このコロナのおかげで、「共有の場」を活動拠点、そして生業とする
アーチストたちは今、存続の危機にいる。
演奏する、話をする、芸を見せるなど、人に生で感動を与えることが、
仕事である人たちは完全に活動停止。
先のめども立っていない。
レッスン、教室といった活動も同様だ。
テレビ、ネット上で活動して、お金を稼ぐことができるわずかな人を除いて、
多くのアーチストたちは本当に困っている。
お客様の目の前で、演奏することができない。
画面を通じて、ネットを介してしか伝えることができない。
なんという悲劇だろうか。
リアルな演奏ができないからと、
自宅やスタジオで演奏するアーチストたちの姿をネットで見ても、
何も感動はしない。
「あ、なんかやってるな」という感じ。
その中で自分が見た唯一例外は、イタリアの世界遺産の遺跡か
コロッセオか巨大な空間で、大声で歌っている有名歌手の映像。
これはさすがにすごい、とは思った。コロナ終息への祈りの歌、
叫びにも聞こえたからだ。また、コロナに対抗する人間の力を感じたからだ。
でも、これも本当はネットで見たいものではない。
カンツォーネは呼吸を合わせ、波動とともに聴き、感動するものだ。
専業の音楽家は本当にキツイと思う。演劇をしている役者も同じだ。
兼業である自分は、彼らに対して申し訳ない気持ちもある。
生で表現することを生業をする人にとって、コロナは天敵だ。
これから、生で演奏する機会が得られるだろうか?
そんな心配がある・・。
今、私は大きな声で歌いたい。お客さまに聴いていただきたい。
この3か月の封鎖期間を経て、ちょっとたまらない気持ちでいる。
思い切り歌い、弾き、伝えたい。
歌ったり、楽器を演奏するとは、口を使う。そのことが罪になるとは、
泣けてくる・・・。
これまで当たり前であった動作が、禁じられるとは、、。表現の不自由がこんなところから生まれるとは、、、。
そんな風に思っているアーチストたちは大勢いるだろう。
ネット社会があるからいい。ではない。
生で伝えることをしたい。それが人間にとって必要だと思うから。
会議もWEBでできる。これはこれでいい。
でも、人間と人間の間に、ネットや画面が常に介在しているのは何か
違和感がある。マスクをして町を歩いている光景に違和感を感じ続けているのと同じだ。
私はこうである。と隠さずきちんと示したい。
と、そんなことができづらくなる世のなかになるのか・・と思うと
思い錘がのしかかってくるようでもある。コロナに息の根を止められないようにせねば。
絶対負けない。
人がいない道を歩き、マスクをとって発声練習をはじめる。
歌い続けるのだ、その機会が早く戻って来る日を待ちわびて。絶対に負けない。コロナに負けない。
生を届けよう。ライブな表現、伝達こそ意味がある。人間は生きているのだから。
もちろん、アーチストだけでなく、どんな職業の人達も今はかつてない苦難の中にいる。負けないで、今できることを一生懸命やる!やろう。
泣いてる場合じゃない。