長崎の外海という静かな町。
あの遠藤周作の「沈黙」の舞台になった町でもある。
そこにお世話になっているシスターがおられ、このコロナ騒動の日々
どうされているのか?と思い、久しぶりにメッセージを送る。
三密とは無縁の町である。海に向き、空を仰ぎ、まさに自然豊かで・・・。
そのシスターより返信メールではなく、電話が鳴った。珍しい。
お声が聞こえてくる。お元気お元気、お変わりなさそうで安心だ。
世界遺産に登録されてからというもの、ひっきりなりに観光客が訪問し、
その静かな町がどうなっちゃうの?と一時は心配したが、
「最近は、めっきり人が来なくなりました」と第一声。
そうなんだ。長崎世界遺産の旅も、コロナの影響で・・・。
「昔のような静けさが戻っています。それでね・・・」
シスターの声が明るくなった。
「ほら、畑仕事をしているでしょう。するとね、ちゃんとお花が咲くんですよ。」
その声で風景が浮かんだ。
人間社会でコロナ感染で大変なことになっても、それでも春になれば
花が咲くのだ。ということだ。
「それを見ていると、なんだか元気になってきてね。私たちもがんばらなくちゃと思うわけです」
ますます、こちらにもそれが伝わる。
ある方が3月11日の震災後、自然には感情がないと海を見て嘆いておられた
ことも同時に思い出した。
そう、自然界はいつも人間界と関係なく、動いているのだ。
人間と同じではない。
シスターと話していて、ああ、長崎に会いに行きたいと思った次第。
「実はね、4月末行く計画はあるんですよ。予定通りいけるかどうかは・・ですが・・・」
「お互い会える日まで、元気にがんばりましょうね」
キリスト教徒でもない私にまで、シスターはとてもやさしい。
そう、シスターの話と同じく、私も満開の桜を見て思っていた。
「それでも、桜は咲いている」・・・と。
今は桜に、春咲く花に勇気と元気をもらうとしよう。
そして、改めて人間ファーストの生き方ではなく、自然と調和することが大切であることを学ぶ春としよう。
今年の桜を忘れない。心のスクリーンショットに、アルバムにきちんと収めていこう。