コント王に心からの哀悼。

小学生の頃から、ずっと大好きだったドリフターズ。突き抜けたあの笑いは、言葉を越えて、年代を越えて、どんなときもありがたい存在であった。
家族で喧嘩をしていても、どんなときでも土曜の夜になれば、「8時だよ!全員集合!」がすべてが許され、和みが生まれ、ばかばかしいことで笑うことで、ま、いいかという気持ちになれた。
老いも若きも、テレビを囲み、笑った時代。
あの番組は1週間、よくがんばったね。ごいうご褒美的な存在だったのかもしれない。
今も時々、再放送をすることがあり、迷わず、みる。
おかしくて笑うだけでなく、笑うことの大切さや、そのばかばかしさを生み出す源泉について考えたり、いろんな企画のヒントにも大いにさせていただいた。
一番勉強になったのは、コメディアンという存在、仕事、生き方だ。

泣き笑いこそ、人生だ。
ピエロのごとく、常に何があっても人を笑わす。哀しみの淵にあっても人は笑うことができる。
笑いの力は絶大だ。

そんな笑いを半世紀近く提供し続けた、志村けんさんが、今回の新型肺炎で亡くなってしまった。これこそ、嘘?冗談?「またまた~」と突っ込みを入れたくなるようなことが、現実におきるとは。

あまりに衝撃的なコメディアンの死。
世界の要人やショー関係者からも哀悼のメッセージが届く。
志村さんは世界のコメディアンだったのだ。

遺骨を抱えたお兄様の映像をみて、胸がつぶれそうになった。
コロナウイルスに感染してしまうと、親族であっても看取ることができないだけでなく、葬儀も難しく、気が付けば遺骨との対面・・・だということを今回初めて知った。衝撃を受けた人は多くいることだろう。
過信してはダメ。
みなさんにテレビでこの姿を見てもらって、コロナは怖いということを知ってほしい・・・とのお兄さんの言葉があまりに重く・・。
志村さんが人々を笑わせたテレビで、今は彼が哀しみを伝えることになるとは。

おコメディアンとは真剣勝負の職業である。
恥ずかしいとか、やれないとかそんな次元ではできない仕事。
カラダを張り、アンテナを張り巡らし、人の気持ちを察知して・・・。
どんなに繊細な仕事であろか。
人間が生きる限り、食べることも必要であるが、
笑いは心の最高の栄養なのだ。

大好きな笑いの王様が、あっけなく逝ってしまった。
心からの感謝を込めて。そして彼が遺した教訓をみんなが活かしていかねば。

いい人がこの時期に立て続けに、いなくなっていく。

心よりご冥福を祈りつつ・・。


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