言葉を理解する力が国力にも。

どうやら、日本の若者には、普段使わない言葉の意味がわからない、響かないことがあるようだ。
これは、デジタル社会や個人主義社会と関係あるかもしれない・・・。
ふとそんなことを考えてしまった。

たとえば、このたびの、東京での外出の自粛要請について。
「自粛」という言葉ではあまりピンとこない。危機感がもてないそうで、
普段通り、外出をしてしまう若者がいる。
メディアのインタビューの一部を耳にしたが、
「禁止じゃないので、いいかなと思って・・・」
らしい。自分ごとには思わないようだ。言葉の意味が理解されていない。
残念ながら響いていない・・・。AIDMA的にも残念なこと・・。
禁止されないと行動できないのか。これはまさしくゼロか百の話だ。
また言われたらやる。は、自分で考え、自分で判断してではない。
禁止されたから、やれといわれたから・・ということで動くのであって
自分から考えて行動するということが、察して動くということが、苦手なのか
そういう感覚がないまま育ってきているのだ・・。正直恐ろしい。

また、自分だけよければという自己本位なところはないか。
自分が好きに動くことで、周囲に迷惑をかけるかもしれないから・・
という世間への配慮はないのか?

少なくともお年寄りよりも、若い人の方が、感染させてしまう可能性が高いという点で、より気を付けてもらいたいのであるが・・・。

どうなったらどうなる?をよく考え、そうならないために自分たちはこうしよう。すべて人から指示をされなくても、考えて動く・・・そんな人になっていってもらわないと、日本という国が今以上に心配になる。

察する、想像する、人に迷惑をかけない判断と行動をする。
真剣に取り組まないと、日本全体が大変なことになる。
コミュニケーション力は、国力にも大きくかかわることを今回痛感している。
デジタル社会は思考を停止させることがある。
大人も気を付けなければならない。
そういう意味でも、今、この国は非常事態である。


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