観客なしで?選手は、演者は?

学生時代に学んだ芸術学の中で、芸術とは作家・表現者と、そして観客がいて、成り立つ。という説があり、心から納得していた。三位一体のアート。
とくに音楽という目に見えない芸術は表現してくれる演奏者がいないと、作品は成立しない。20世紀になるまで、録音や録画、WEBなどのテクノロジーがなかった時代であったせいもあるが、ひと昔前までは、観客・聴衆がいてこそ、作品が完成したといえる。まさにライブこそが作品なのである。
場の緊張、空気感・そして歓声、拍手・・すべてが作品の完成には不可欠。
演出の一種ともいえる。拍手、歓声あって感動的な作品になる。
拍手こそが、演者にとって最大のエネルギーになる。
演奏者は、聴いてくれる観客がいることで、最高の演奏をしようとがんばれる。
もちろん聴衆がいなくてもがんばるが、場の空気の張りつめ方が全く違うのだ。

観客に喜んでもらうことが、芸術の目的。

さて、スポーツに置き換える。
スポーツは、競い合うもの、競技。まずそれが第一の目的。

そして、観客に見せるスポーツへ・・・。

オリンピックは平和の祭典という以上、観客がいてこそのお祭りだ。

相撲春場所の観客なしの開催。
テレビに映る観客ゼロの様子は、最初違和感があったが、2週間もしたら
だんだん慣れてきた。さまざまな場所で、人々はテレビを通して、相撲を楽しんでいた。
老人施設では、とくにくぎ付けになっているお年寄りの姿が印象的であった。

この時代、放送やWEBがあることで、その場にいなくても楽しむことができる
芸術・スポーツ。
遠くで見守るファンたちの応援が、選手たちに伝わるといい。

もちろん、夏場所では、観客ありの賑わいのなかで、熱い取り組みが見られるようにと願っている。
観客なしで、そして感染拡大なしで、無事に閉幕できたことに心から拍手したい。

何とおいても、やっぱりリアルが一番だ。
早く芸術もスポーツも、思う存分にプレイできるように・・・。私自身も早く
動きたい・・。


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