こころは純で。

長年お付き合いいただいている妹のような存在。その名を純さんという。
普段は純ちゃんと呼んでいるが、いくつになっても
いい名前だと他人事ながらそう思う。
音も意味も格好も、そして意味がいい。

純粋であること。混じりけのないこと。ピュアとも言う。

今の世の中、混じり気、濁り感が多すぎる。
一体、これは何なのか、混ざり合いすぎて真意が見えないことが多く、
偽善的なものことも多い。
良いことは良い、よく無いことは良くないと
前を向いて言い続けることが出来る、胸を張って生きられることは
とても清々しい。純粋だとそれが出来る。

昨今の見えない空気の汚れ、ばい菌。純粋なとは言えないマスクする世界。

きれいな空気なら、ピュアな空気ならマスクなんかいらない。
人の心も、大気も水も、みんな澄んでいてほしい。

そう、純であるということは透き通っていて、よく見えるということ。
見えると、安心だ。
そんな世界に生きたいし、そんな人でありたい。

名は違えど、私も心は純ちゃん、でありたい。

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