孤独に向かう、お迎えは待たず

父をはじめ、周囲の高齢の人々を見るにつれ、接するにつれ、人生とは、いったいと考えることが多くなっている。

間違いなく、元気で若かった時代と比べ、カラダが思うようにいかず 自由に動けない自分を情けなく思ったり、人寂しく思ったり、とくに入院や入所していると夜は長く、つらいようだ。
自分の先を思い、不安になるのだろう。
そんな年寄りをなだめ、慰め・・はするけれど、いつも、根本的な救済はできていないことに申し訳ない気持ちになる。

生きるとは、孤独だ。

このことを若いときから、しっかり頭に叩き込んで、死ぬまで、それが当たり前だと思える精神力をもつこと。
孤独はつらいのではなく、人はもともと孤独であるという認識。
せめて、自分はそれをもっと養おうと思う。

また、いつかお迎えがくるのだろうが、その日をじっと待つのはたまらない。

もしカラダが動かなくなっても、できることをしながら、自分らしく人生の

残りを費やし、力果てたところで、命が終わる・・。なんてなれば、最高だ。

人生の終わりを見据えながら、最後の瞬間まで積極的に生きること。

言葉にならないかなしい涙を流す父に接するたび、複雑な気持ちになる。
孤独だからこそ、人とのコミュニケ―ションをしっかりとらねば。
孤独だからこそ・・。

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