先日、ふるさとのJA関連の大イベントに飛び入りで呼ばれ、地元の女性たち(といっても、ほとんどが母親世代70代)と一緒に歌う機会をいただいた。そこにお世話になっている方が、突然目の前に現れ、あいさつをする。すると「うちの大根、いらん?」と言われて、へ?持って東京まで帰るのはちょっと・・・だけど、食べてみたい・・・興味深々。「いいんですか?」「じゃあ、あげるわ」といって長くて葉っぱもふさふさ付いた大根を10本ほど?新聞紙に包み、もたせていただいた。すごい太っ腹。東京で買ったら1本・・・と思わず計算してしまう。この大根は売り物だ。形もキレイで整っている。いただいてよいのだろうか?そしてくれる本数も半端ではない。全部はとても消費しきれないので、2本東京へおくってもらい、その農家さんのことを思い出しながら(神谷さんの大根と名前を勝手に付け)煮たり、漬物にしたり・・・。1本の大根ではいろんな楽しみ方ができ、本当に重宝だ。そんなことで頭がすっかり大根漬けになっていたら、NHKのとある番組で岐阜の夜市を舞台に、そこで自分で作った野菜を毎日売りに来て、大根をおまけにあげてしまうという店主のことを知った。この方は80歳だそうだ。20代のときからこの夜市での野菜販売を始め、柳ケ瀬全盛期もこの場所で同じ仕事をしながら人生を潜り抜けてきたそうだ。100円の買い物をした人にも大根をあげてしまう。そして必ずそのお客さんに合った言葉をかけているのが印象的だ。大人にも子供にも・・。毎朝自分の畑で自分でとってきた野菜を売る、そしてその野菜をお客様とのコミュニケーションに使っている。とてもじゃないけれど儲かっているようには見えない。でもそのおじいさんは(「やっさん」と呼ぶそうだ)自分のこの仕事を天職だと思っておられるようだ。
自分が苦労して作った大根を惜しげもなく人にあげる。岐阜の農家さんはみんなそうなの?と思わず思ってしまったほど。
自分で作ったものを無償で人に提供できること、気持ちを込めて渡せることがうれしいのだろうか?間違いなくもらった人は、このやっさんを忘れず、また買いに来るだろう。
次回、帰省したときその夜市を探して、やっさんの大根コミュニケーションを見てみたい。天職か、素晴らしき人生だ。
故郷は大根コミュニケーションの聖地?
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク