年賀状と終活

年賀状は日本郵政の大きな収益源であるのは今も変わらないようであるが、
年々、年賀状の消費量?郵送料?減少傾向。デジタルコミュニケーションの影響で、年賀状は出されなくなってきている。
欧米のクリスマスカードと同じように、年賀状は日本固有の慣習であり、お正月の楽しみは、年賀状という方も多いと思うが、それでも年々出す数も受け取る数も減っているのが現状だ。

ご無沙汰している方にせめてもご挨拶を・・という気持ちを年賀状に託す。
もう何年もお会いしていないけれども、年賀状だけはというおつきあいも多い。
切れない関係というのも貴重ではある。
私にとってありがたいのは、かつてつとめた会社の上司との年賀状のやりとり。
もう20年以上、ずっと交流させていただいていることになる。
しかし、改めて考えたら、90歳近くなる方も増えてきている。
そんな方にとって、年賀状は大仕事だ。毎年やってきたことではあっても、
その労力たるや、大変なことではないか。
ハガキを買う、印刷の手配をする、書く、切手を貼る、投函する。この一連の流れの作業。機械的ではなく、一文字一文字手書きをされる方にとっては、しんどい重荷かもしれない・・。

ある方の年賀状に、今年をもって賀状でのご挨拶を遠慮させていただきます。
永年のおつきあいありがとうございました・・。とあり、寂しく思った。それを書かれる胸中を察するとつらい。お元気じゃないのかもしれない。もしくはその方流の終活かも、、、。など考えてしまう。
出されるのが大変であっても、こちらは出せばよい。
いやいや年賀状でなく、会いに行かなくちゃ。
と思い、その旨記した返事をすぐ書く。

正月から終活か、、、。毎年そんな事例も増えていくのだろう。
ひとつづつやることを縮小していくこと、やめていくこと。
そんなことがどんどん増えていくのは寂しい。

年賀状を通じて、月日の経過と・・高齢化を改めて感じる。
正月はうれしくもあり、いろいろ思うこと多し。

まずは、目の前の、手に握る一枚を噛み締め、大切にしたい。

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