何年前からだろうか、世界の空港やターミナル駅にピアノがあって、それを空港や駅の利用者、通行客が自由に演奏している・・その様子を流す番組が人気のようで、何度も再放送をくりかえしていて、時々ながら見をしている。
世界にはいろんなピアノストがいるもんだ、と感心したり、共感して見たり聞いたり、時には、ここでじっとしている自分が嫌で悔しくなったり・・・。
ある人からすれば、そこにピアノがあったら、あなたは絶対弾いているでしょうと言われ、確かにそうするかも・・と思っていたのは、外国の駅での話。
そして駅ピアノがない時代、ナポリのホテルのピアノを朝よく弾かせてもらったと懐かしく思い出す、旅とピアノの思い出・・・。
そして、最近小さな夢が浮かんだ。
もし機会があれば、自分が少女時代に使ったピアノをお世話になった地元の駅に寄贈して、そこで皆さんが弾けるようにするのはどうか?と・・・。
小学生の頃から毎日のように、レッスンに向かうのにお世話になったあの駅に・・・と思っていたら、つい最近、地元のもうひとつのJR駅ビルに、また京都駅にもピアノが設置されたことを知る。
まず、驚いたのは京都。黒いグランドピアノが中央改札の前の広場に置かれている。そして、わざわざピアノの横に「駅ピアノ」と看板があり、これには正直、興ざめした。京都はなんでもアピールする、なんでも発信するが、これはピアノがあり、誰かがそっと弾き始めたりするのが良いのに・・・。いかにもコマーシャル的な感じ。そのうちカメラを設置して、そのうちNHKで流す予定なのかも・・とすると、なんだか萎える感じ。もちろん弾いている人はいる。喧騒のなか、がんがんピアノの音もそれに負けじと鳴り響く。テレビで見た駅ピアノとは違う世界だ。もっと静かな場所においてくれたら・・・と勝手に思いながら、近寄らず、改札前を通行する。
そして、地元のJR駅ビルにおかれたピアノ。アップライトのピアノ全体が現代アート風にペイントされて、迷彩服のような色彩のピアノになってしまっており、これにも触りたいという気持ちは起きない。ピアノはシンプルであり、そこから出す音色が多様であるべきで、ピアノ自体の色やデザインが派手すぎるのは、こちらも気持ちが萎える。
ピアノはシンプルで、そっと置いてあるところに存在感があるのが・・というわがどうでもいい持論が湧いてくる。
とにかく、間違いなくテレビの影響で、日本にも駅ピアノが増えつつある。
弾くなら、やっぱり海外でが良いかな。
次回は、ぜひパリの北駅でトライしたい。まだおいてあれば・・・。
表現の場が増えるのはとてもいいことと思いつつ、公共の場の在り方についても考えつつ・・・。
音楽は、つくるひと、奏でる人、聴く人の三者が一体になってこそ、良い音色になるが、一歩間違えると、騒音にもなる。そんなことも忘れず、快適な仕掛けを考えたい。