中学校の前に、巨大なカジノのビル。
もちろん、中学校が先にできた。歴史ある学校に見える。
このカジノのビルは私がマカオに初めて訪れた20年前はなかった。
こんなビルたちがどんどん建設されるようになって、しばらくマカオから離れた。そして離れている間にさらに新たで巨大なカジノのビルが建設され、この10年でマカオは、アジアのラスベガスになった。
子どもたちが学ぶ校舎・校庭から、巨大なギャンブルの拠点が毎日見える。
カジノが日常の風景。これは日本人である私には想像できないことだ。
日本も今、IRを推進するとか言っているが、まさかこんなことにはならないでと思う、お手本である。
今回、ある青年に出会った。かれはタクシードライバー。偶然、私がお客としてたまたま乗ったところ、英語が通じるので、コミュニケーションが進んだ。
彼の話をきいていると、なんと半年前に、タクシー業界に転職してきた。年齢は31歳。その前の勤務先はカジノ。マカオにある巨大カジノ会社のひとつで数年働いた。しかし、深夜・早朝の勤務シフトのハードさや、マネー目当ての人たちを毎日見ていることも嫌になり、転職したという。
カジノで働いている若者と接したのは初めてであるが、マカオの若者のなんと7割がまずはカジノの会社に就職するのだそう。カジノで働くのが一番安定収入だそう。そのまま定年まで勤める人も多いが、最近、そういえば若いドライバーにも出会うがもしかしたら彼らも脱カジノ組かもしれない。
子どもの頃から、カジノとともに育ち、カジノで働き、人生を過ごす、でも、カジノはしない。生活の糧である。
そして、ポルトガルから返還後、中国の統治下においてカジノ建設は加速、大陸からの観光客が多数訪れ、カジノで、ショッピングでお金をおとしている。それによりマカオは成り立っている。だから、彼らは「マカオは中国の一部」という。香港とは背景・環境が異なるのだ。
私はこの若きドライバーに、「今のうちに、外に出て、いろんな世界を見た方がいい。カジノのあるマカオだけが世界ではないから。もっともっと外に出ようね」タクシーを降りる頃には、すっかりマカオの青年にもおせっかいおばちゃんになっていたかもしれないが、彼には理解できたようで、大きく頷いていた。
カジノとともに育つ、カジノとともに生きる。
そんな歴史の中にいるマカオの人達は、カジノでにぎわうマカオではなく、
ポルトガル時代のまさにノスタルジックな世界が好きだ。私も同じ。
「日本にもカジノ?そんなのができたら、マカオに人が来なくなってしまう」この青年の言葉も印象に残る。
日本の浅はかな計画が、マカオの人たちの生活を脅かすことにもなるかもしれない・・・。ここには、昔からそれで生きている人がいるのだ。
どんどん世界が金欲と権利欲で変貌しているのを、こんなところでも感じつつ、未来がやっぱり心配になる・・・。