京都で10年ほど前に出会ったその彼女はスミちゃんという。女性をキレイにする仕事をしている。その後、北海道へ行き、オーストラリアに行き、音信が途絶えたと思ったら3~4年前、上京し、都内で仕事を再開、バリバリ活躍している。人をキレイにする仕事なので、彼女自身もとても美しい。
気が付けば36歳になったとのこと。最初は私がお客の一人であったが、あるきっかけで交流がはじまり、今は妹のような存在で、会う回数は少ないが彼女の節目節目を見てきている。そう、北海道で再会したこともあった。久しぶりに会う。近況をいっきに話してくれる。最近、故郷のことが気になり始めているという。したいことがあり、故郷を飛び出て、暮らしてきたが、ここにきて、東京だけがすべてではない。地方の良さを東京に長く住み、感じるようになった。いつか、故郷でも何かしたいという思いがじわじわと湧いてきている・・・とそんな話をしてくれる。田舎に気になる人がいるという。お風呂屋さんを長らく経営されている「ちかちゃん」という女性。彼女が幼少の頃からずっと「近所のオネエチャン」的な存在で、ずっとそう呼び、ずっと助けてもらってきた、家族のことも含めお世話になってきた、頼りになる元気ねえちゃん・・・のような存在。でも、気が付けばその方も65歳ほどになっており・・・。いつまでも元気なおねえちゃんのままでもない、ちょっと疲れているようにも見えるという。「今度、田舎かえったら、ちかちゃんの肩もんであげたら?マッサージしてあげたら?あなた、プロなんだから喜ばれるよ」と提案すると、スミちゃんは「そうか!」と目を輝かせた。
血もつながっていないけれど、ずっとお世話になってきたご近所さん。自分は離れてしまっているけれど、ずっと変わらず田舎で家族のように見守り続け、助けてくれている人。そんな人たちが私にもいることを思い出した。田舎のことは、忘れがちだった。でも、そこをちゃんとしておかないと、みんな年をとって、お礼もいえないうちに会えなくなってしまう。
スミちゃんは今度帰ったら「ちかちゃん」にマッサージをしてあげることだろう。会ったこともない、ちかちゃんと言うお風呂屋の女性のことを勝手に想像する。
スミちゃんは、今回私と会った別れ際、自分が乗る地下鉄の乗り場を通り越して、私が乗る電車の改札までついてきた。それが彼女の気持ちなのだろう。「西のすみちゃん、東のマーサさん。私にとってはそんな感じですね」。泣きそうになり、手をふり、別れる。やっぱり、心族はいい。ちかちゃん、スミちゃんのマッサージを喜んでくれることだろう。
血縁なき、家族への感謝と行動
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