暦の上では、とうに秋であるが、川辺の楽しみといえば、やはり夏のイメージだ。行く季節を惜しむように、今年も長良川の鵜飼は10月15日をもって、終わりを迎えた。
これまで気にしたこともなかったのに、今回は最終日、最後を見届けなくてはと思い、落日後、長良川へ向かう。
19時半。観覧船が岸を出て、漁火が揺れる鵜飼い船に向かい合う。
厳かに、古式ゆかしき鵜飼いのショーが、暗闇に映える。
私は、岸から、そして長良橋をわたりながら、幽玄な世界を遠くからみつめた。
最終日だからなのか。
花火がはじまった。
花火と鵜飼、漁火は、あまりにロマンチックなマッチング。
静かな暗闇に映える漁火の灯に、花火のつかの間の華やかさが加わり、
まさに芭蕉の世界を表現しているようだった。
おもしろうて、やがて悲しき鵜飼かなまさに、花火が終わったら、鵜飼いが、今年の鵜飼プログラムがすべて終わるのだ。
花火がぼんぼんあがっている間、カメラのシャッターを切りながら涙があふれた。
橋の上には、この様子を撮影しているカメラマンが何組もいた。ああ、夏が終わった。
父は、この最終日の鵜飼を、クライマックスを見たことがあるだろうか。そう思ったら、余計に芭蕉の句が頭をよぎった。
花火が終わり、再び鵜飼い船と、大きな月と、そして岐阜城が浮かび上がってこの世のものと思えない世界を映しだした。
信長はどこで鵜飼いを見ていたのか?いや、今も空から見ているか?
ドラマチックな世界を、来年もまた・・・・。