崇高なる人を目指したい

最近、その存在を知り、心から尊敬しているピアニストがいる。

メナヘム・プレスラー。90代の現役ピアニスト。ドイツ生まれのユダヤ人らしい。戦時中にはイスラエルに移り住んだ多難の若き日を過ごした方のようだ。
ヘンデルからドビュッシーまで、幅広いレパートリーを演奏するが、
私にとって、とりわけ心に染み入るのは、ショパンの名曲の数々。ポーランド人であるショパンと、ユダヤ人のピアニストのどこかに共通点があるような、どこか悲しげな憂いを帯びた美しい響きが印象的だ。
ノクターンの遺作を聴いたときは、この演奏自体もラストになってしまうのではないかと思うほどに、命が込められ、しかも言いようのないほどの崇高な気持ちが表現されており、思わず手を合わせて聞いた。

技術も申し分ないが、心で弾く姿が神々しく。音楽と自分が一体になっている感じを受けた。

ある作家は、積極的感受という言葉を使うが、まさに音の中に演奏家が存在しているような、超越的な崇高な世界を作り出している演奏家だ。

人生の年輪がそうさせているのだろうか。

技術よりも心を。人生を。表現に自分の命を吹き込むことがいかに大切かを

教えてくれる大切な存在だ。

いつかお会いしたい。お元気でいてくださるとうれしい。

ピアノそのものがその人である。●●そのものが私である。そんな存在になりたい。生きている間に、どこかで。ぜひ直接あの崇高な世界を体感したい。

そんなことを思わせてくれる表現者は、この世に何人もいない。

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