ひとつずつ肩の「荷物」を下ろす。

中小企業の社長さんたちに多く出会うなか、自分の父が20余年前までお世話になっていた会社のことを思い出すようになっていた。
父が40年以上、丁稚奉公時代含め、お世話になった会社だ。
退職してもう20年以上経過するし、世の中も変わってきたが、今もその会社は?とネットで検索したら、会社は存続している様子で、安心した。


社長さんはお元気だろうか?父がお世話になっている間に、世代交代され、
息子さんの代になった。父より若い社長さんで、古参のような存在の父のことはたぶん、扱いづらかっただろう。自分が大人になり、いろんな会社のことを知り、経営者の悩みも理解できるようになるにつれ、父がお世話になっていた会社のことも気になり、また父を長く雇用いただき、お給料もいただき、そして私や妹が無事育ち・・。ありがたかった・・と感謝の気持ちが芽生えてくるようになった。
いつか、近いうちに、その会社の社長さんにお礼を言いたい。感謝の気持ちを伝えたい。と思い始めたが、さて、どうするか?いきなり電話して訪問というのもなんだかおかしいか、手紙を書いて出してみるか・・。
と、父の老いを見守りながら、そんなことをずっと考えていた矢先、父が入院し、私も病院に継続して見舞いに通うことになる。


偶然にもその会社は、入院先の病院の近所にあった。病院まで歩く道中、子どもの頃、よく父に連れられて来た町工場の場所を思い出そうとし、探してみた。
何度か病院までの道をきょろきょろしながら、歩いていたが、先日たまたま、通りがかった家の表札が、社長さんのご自宅であった。
「みつけた!」と同時に、さてどうするか?いきなり玄関のピンポンを押しても
びっくりされるだけだ。
また改めて、その道を通りながら、どうしようかと考えていたら、なんと自宅の前で花に水をやっている人をみつけた。迷ったが、声をかけた。
その方は社長夫人であった。名乗ると、大変驚かれ、またこれまでの思いやいきさつなどをお話ししたら、大変喜んでくださった。
そして、父の入院のことも話して、今度は会社へお邪魔する旨お伝えし、お別れした。ああ、やっと会えた。
その翌日だろうか。その社長さんが、父の見舞いに来てくださったとの報告があった。
退職して、20余年ぶりの再会。しかも病院での再会・・・。
お世話になった社長さんが、口やかましくて扱いづらかったであろう、元常務を訪ねてくださったのだ。
突然の社長さんの登場に、父はさぞかし驚いたことだろう。

久しぶりに話をしたそうだ。
きっと長年お世話になった会社の社長さんが見舞いに来てくださって、
嬉しかったことだろう。
「同じ釜の飯を食べた仲だからな~」と、父が一生懸命話してくれた。

なんだか、ずっと思っていたことが、叶ったような。肩に勝手にしょっていた荷物をひとつ下ろしたような、軽い気持ちになった。

人は気づいたときに荷物を持つ。それを下ろす。

それが人生のなかの仕事かなと思う。

社長さま 大変大変ありがとうございました。

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