人間は弱きもの。だから

京都に住んでいた頃。とくに学生時代に、部落や同和問題という話題に接することがあった。また、在日韓国人の仲間のことも・・・。

この話題を思い出すと、ほろにがい中学三年のことも思い出す。
在日韓国人であった友達が勉強がよくできる人であったにも関わらず、日本での将来をあきらめる発言をして、それでおつきあいが終わって・・・というショック。大学時代も、同じゼミの人で在日の人がいて、これまで知らなかった差別というものに触れ、いかに自分の知っている世界が狭いかと恥ずかしく思った。

このたび、部落に住み、しっかり部落で生きる人のことを知ってほしいと活動されている若者の活動のことを知り、胸をうたれた。
とくに、九州で太鼓をつくる職人さんのインタビューを見聞きしたときには涙があふれ、その人に励ましの連絡をしたいと真剣に思ったほどだ。

昔、差別を受けた人の子孫が、先祖たちがやってきた仕事を受け継ぎながら今、生きておられる。人が嫌がる仕事をされ、人の役に立ち・・でも、人目につかない世界で生きてこられた。

たまたま自分がその環境で生まれただけ。ということで、人は差別の対象になる。

男女とあれば、女性は差別されてきた。最近は逆差別かと思うほどに変化してきているように感じるが。

人間は自分より弱い存在をみつけ、上から目線で差別したがる。

みんな同じ人間なのに。自分が偉いと思いたがる。
自分のことを強いとか正義とか思いこんでいる人ほど、本当に弱きものだと
心から思う。

いろんな差別を乗り越えた社会づくりが進んでいる・・・とは正直まだまだ
言えないと思う。

華やかな世界があればあるほど、それを支えた影の存在がある。そこに感謝しなければならない。
最近、京都によく出向いているが、華やかな都の脇に、そういったエリアがまだ
残っている。
そんなことも本当はもっと知らなくてはいけない。

今機会があれば、人に会いに行きたいと思っている。

いい太鼓を作ってくれるから、和太鼓に人気が集まっているのだ。

人間は本当に弱い存在だ。それをもっともっと自覚しよう。

そして違いを理解し、尊重して助け合う。そんな社会がいい。差別という偏見が世の中からなくなることを、心から願って。

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