7月初めから毎週月曜、岐阜新聞のコラムに寄稿させていただき、無事、予定どおり9回の連載が終了した。毎回、お読みいただいた方からは「なんだか、寂しい感じ。また何か考えて」とか、自分が綴るふるさとの話で、地元の人が改めてわが町をふりかえり、魅力を再認識した。原稿に「うた」の歌詞を織り交ぜて書くなどしたため、コミュニケーションクリエイターらしい?との評もいただいた。知人の方にはよく読んでいただいたが、お会いしたことのない新聞愛読者もきっとお目通しいただいていることと思う。
今、新聞という媒体も岐路にあると感じている。
私の場合、現在は住宅事情により新聞をとっていないが、もしとれる環境ならば朝のおつとめとして必ず読みたいし、駅などでは今も必ず一部と言わず、違う新聞を2~3種買うこともあり、車内で大きな紙面を折りたたみつつ、広げて読むことが好きだ。社会を俯瞰する感じがとても好きで、面白い記事を探すのも楽しみだ。
でも、車内で新聞を読む人は明らかに減っており、多くはスマホで検索し、見たいニュースだけを見ている。
大手経済新聞は、早くからネット購読者への移行を図ったため、総読者数はさほど減っていないかもしれないが、それ以外の一般紙の購読者数はかなり厳しい状況になっており、さらに地方紙になると、人口の減少もあり、深刻な経営状況ではないかと推察する。
でも、今こそ、新聞というメディアに注目したい。
今でも、これを毎日楽しみとし、クリッピングする人もいる。
もうそういう時代じゃないといわれてしまえばそれまでだけれど、新聞は残る活字媒体であり、信頼できる存在。
と思っているから、関わることで、一人でも多くの人が読んでくれたら、楽しんでもらえたら、新聞を好きになってくれたらいいなと思う。
新聞を世の中からなくさないために。それどころか、質の良い情報を常に提供してくれる信頼の存在として、存続し続けてほしいのだ。
ネットを使わないシニアのためにも、まだまだ必要とされる新聞。
若い人にも、もちろんもっと手にとってほしい。