公共スペース、わが世界なり?

パリの最近のデパートについて、変わり果てたと嘆くパリジャンがいた。そして自分もこれらの売り場に当分足を運ぶまいと思い、そのまま帰国した。
バスで店の前に乗り付け、開店前から店で買い物をして・・・店内にはフランス語ではなく、中国語が飛び交い・・その光景は見たくなかったからだ。そして、帰国してから、用事があったので新宿のデパートに。実はこちらもパリほどではないが、それに近い空気になりつつある。申し訳ないが、昔よりトイレが汚くなっている。日本のデパートのトイレはそうではなかったはず・・。嫌な予感すらする。上海によく行っていた10年前、お化粧やファッションに興味ある女性たちのトイレの使い方・・にびっくりしたことがあったが、それを思い出す光景であった。このデパートも質が落ちたな・・とまずそこで感じる。トイレ内では、中国語らしき勢いある会話が響き渡る。トイレで大声で話す習慣からもあの頃を思い出してしまう・・。
用事があった食器売り場に足を運ぶ。そこにはテーブルとイスがあり、お客さんはそこに座って商品を見たり、会計したりする。そんなゆとりある空間として、この売り場が気に入っている。
ちょっと専門店のようないい感じの売り場で、そこが好きで買わなくても行くのが、見るのが好きだった。そういった楽しみがいろいろあるのが、もともとの百貨店だ。美術館のようなホテルのような・・そんな空間であるはず・・。
今回ふと、目に入ったのが、売り場の中、商品の後ろの壁にコンセントがあり、そこに誰かの携帯が繋がれている。なんと、売り場の商品のある場所で、充電しているのだ。
その近くには日本人ではないアジア人のグループが売り場のテーブルや椅子に座り、高級食器を見ながら、持ち込んだペットボトルの水を飲んだり、すっかりくつろいでいる。どうやら、その人たちの携帯のようだ。
彼女たちは店の人に断ってやっているのだろうか?でも、多分OKしないよな~。私はつい、自分の近くにいた売り場の担当者に「あんな商品があるところで、充電していいのですか??」と質問。すると売り場の担当者は「いやー、商品のところで困るんですよね。」「売り場でお客に勝手にそんなことさせたらダメですよ。店の質が下がりますよ。すぐ注意した方がいいですよ」というと、その人はその海外のお客さんの担当スタッフのところに行き、小声でそれを伝えたようで、しばらくすると店の人はお客さんにそれを伝えたらしく、本人たちは売り場内での充電をやめて、携帯を自分の手に戻した。店の人から「私たちからは言いづらかったのですが、言ってもらって助かります」「なかなか・・・なんですよね」ちょっと歯切れの悪い感じで、店の人もいろんなことに対面、苦慮していることを感じた。
売り場は公共の場であるし、また充電をどうぞ!と言ってくれるファストフード店とデパートの食器売り場は違う。普通はそこでは携帯の充電もしないし、椅子に座ってペットボトルの水も飲まない。休憩所ではないのだ。
お店も一度にたくさん買ってくれるお客様もその日の売り上げのためには大切にしなければならないだろうが、何度も来てくれる人こそ大切にすべきではないか・・。そういう意味も含め、このデパートもパリのそれも質の面でブレを起こし、衰退しはじめていると感じてしまう。
言えばわかる、注意すればわかるはずであるが、衝突することもある面倒くささから、ついつい目をつむってしまう。
それでは、お互いに本当はよくないはずだ。
以前、台湾の仕事をしているときに、台湾の仲間たちが都内に出張してきた際、食事をするために入ったレストランの店内で、それまでに買い集めた弁当や総菜の商品サンプルを開封して、写真を撮り始めたため、びっくりしてお店の人に謝り、ここでそれを広げてはいけないと注意したことをふと思い出した。
悪気はない。でも、だからといってそのままにしておいてはいけない。
みんなが気持ちよく共生するためには、注意したり、その国の、場所のルールや習慣をきちんと伝えることも大切だと、思っている。公共の場がそれぞれ自分だけのものになりつつある事態。外国人に限らず、日本人も同じこと。電車の中もそうだ。素敵な空間を作る、またそれをキープするためにパワーが必要になる時代。なかなか難しいものだ。

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