歴史をきちんと知り、理解することを忘れずに。

昨日で終わった世間のお盆休み。今年は台風に振り回された感も多いが、その
報道で、少しトーンダウンしたかに見えた終戦記念日。
私は、同世代の天皇陛下が式典に参列され、お言葉をお話しになるお姿を拝見し、そんな中、いろんなことが頭をよぎった。
亡くなった人たちのことを、生きている側が忘れずにしっかり覚えていれば、
その亡くなった人たちのことは消えない。風化しない。
けれども、メディアを含め、伝える機会が減っていけば、伝える人が減っていけば自然と消えてしまい・・被災された方たち、ご苦労された方々が本当の意味で
死んでしまうのだ。だから、記憶をなくさないために、記録は重要で、それに触れる体験が大切なのだ。
これは、広島や長崎の原爆資料館に行ったとき、そしてそれに関連するさまざまな文献や映像に触れたときにも、強く思った。本当に辛いものを、悲しいことを知るということは時に涙なしでは、いられない、あってはならないことが、この日本で、実験的にもたらさられた・・。間接的であれ、知ることで歴史に向き合うようになる。
自分が生まれた20世紀は、人類史上、もっとも罪深い世紀だったのだと、何も知らなければ思うことはなく、この平和が当たり丸と思って生きてしまう。

さて、このたび、原爆投下からわずか8年後に制作された、「ひろしま」という映画を初めて鑑賞した。テレビの録画ではあったが、息をのむ、目をそらしたくなる惨い原爆の様子がリアルに伝わる作品であり、改めて戦争の恐ろしさをさらに考える機会となった。

冷房をきかした部屋で見ているのが悪いような、ましてや飲料や冷たいものを食べながらなんて観ていられない・・・そんな映画だった。

これが原爆か。テレビから悪臭も漏れてきそうな、破片が飛んできそうな・・
そして目をつぶれば今も人々の呻き声や、あのやけどの傷が脳裏によみがえる。
モノクロであったのが、せめてもの救いかもしれない・・。原爆を実際に体験された被爆者の皆様にとっては、この映画を観ることでご自身の幼き頃の生体験が蘇り、たまらないだろう。体験していない私ごときがこんなにショックを受けているのだから、被爆された皆様にとっては、・・・。

本当に言葉が出ない。心からその苦労に対し、手を合わせたくなるし、お亡くなりになった方のご冥福を祈るばかり・・・。

と、たった1本の映画でも、観ると観ないは大違いだ。資料館の訪問も同じだ。
このたび展示が大きく変わったと何度かニュースで報じているが、これはこの大きな惨事を風化させてはいけない、伝えなければならないという思いからの
見直しであろう。今こそ伝え、そして知り、理解し、受けとめなくてはならないのだ。

人間って何なんだろう。8月はこんなことをしっかり考える時なのだと思う。
平和な時代に生まれ、ぬくぬくと育ってきた自分。
でも、頭までふやけないようにしたい。きちんとした頭と心をもって、
いい歴史になるようにつとめていきたい。

どんなに厳しくても、現実にきちんと向き合い、受けとめること。知ることは、理解することは、歴史の中を生きる者にとって避けてはいけないこと。

それにしても、あの映画は凄い。8年でよくあんな作品を作った人々の思いに
改めて頭が下がる。

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