CSRからPSRへ。

最近では、SDGsという取り組みがにわかに広がっているようで、持続可能な社会づくりを世界中で、組織あげて、みんなで計画的に実行していこうという向きがある。
自分の次の世代の人々も、安心して地球で暮らせるために、自分ができることをもっと積極的にやっていこうという動き。
国連や、国を挙げてということで、今、企業はその推進に積極的になってきているが、表層的かつ一過性の取り組みにならず、この機会に、自分たちが社会と共生するためにできることを真剣に考え、これまでやってきたこと、できていないことを再整理しながら、啓蒙活動をしながら、意識改革の上、持続的な活動をしていければ良い。表層的、恰好だけのSDGsでは意味がない。
(そういえば、最近、大きめのマークのバッヂを付けている人を新幹線でよく見かける・・・。)

さて、このSDGsは、その前の表現でいえば、CSR。企業の社会的責任の実現と訳せばよいか。(corporation social responsibirity) この活動を全世界的に具体的に積極的に推進していくのが、SDGs。

これを企業レベルで組織レベルで推進していくのはとても結構なこと。
だが、会社がこう言っているから。とやらされている感じで取り組んでもどうも浸透し、継続していかない気もする。
私なら、まずはPSR。peronal social responsibitiry の自覚からはじめたい。
自分というひとりの人間が社会に貢献できることは?と常にその思いをもつことでたとえば、ゴミ捨てから、人に対する言葉のかけ方から、いろんなことが変わってくると思う。
自分も社会の一員である。という自覚を持ち、自分勝手な考えや振る舞いをしない世の中。それが真のSDGsへの道だと思えてならない。

大きなことを言う前に、自分から変わる。人として、社会共生を理解し、実践できる人でありたい。謙虚で誠実でいることが基本の基本か?となれば、わざわざ大げさな表現も要らず、人としてどうあるべきか?を見つめ直すことから・・。だから、今さらの話ではなく、人として永遠の、普遍の課題としてとらえていきたい。

とにかくわが人生を無駄に生きず、社会の一員として循環させ、一生を終えること。無駄に長生きしているだけでは、社会的責任を果たしてはいないと、自覚をもって生きたい、進みたい。


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