風化しないために、出来ること

どんな大事件も大災害も、とくに自分の身に直接ふりかかっていなければ、時間の経過とともに忘れ去られていく。おそらく世の中の多くの事象がそうであろう。

でも、その被害規模に関わらずその経験が無駄にならないよう、同じ苦しい経験を繰り返さないためにも、そのことを忘れないようにすることは大切だ。全ての経験が次への教訓になるのだから。

今日であの大震災、津波から8年だ。

あの当日のことを思い出す。東京でのパニックも前代未聞であったが、日本中が世界が衝撃を受けたが、東北のみなさまのことを思うと、なんともたまらない気持ちになる。

あれから原発のことも含め、未解決の問題が山積みで、ふるさとに戻れないまま、今日を迎えておられる方も多くおられる。周りにもそんな知り合いがおられる。どんな気持ちで今日という日をお迎えかと思う・・。

オリンピックに回すお金があれば、こっちに使う方がどれだけ日本という国が良くなるかの疑問は消えないまま、時間が過ぎていく。復興が公から民に・・という報道をきくと、複雑な思いが募る。


であるが、人に何かを期待し、残念に思っていても何も変わらないので、まずは自分ができることをするしかない。
という自分も大したことは何もできない。
小さな募金活動や、ささやかな演奏活動や、現地で頑張る方への応援や・・
本当に何もしていないぐらいの恥ずかしい自分・・・。

でも、この日のことは忘れない。それぐらいはできるだろう。
家族が見つからない人のこと、ふるさとに帰りたくても帰れない人・・・
大切な人、もの・・・をなくしてしまった人・・・。

せめて、思いを寄せ、みなさんの復興を心から祈りたい。

ささやながら、今日、岐阜新聞のミニコンサートを開催。そちらでそんな思いを演奏したいと思います。

心からの復興を祈る。時間とともに厳しい現実が風化され、おきざりにならないように・・。そして。いつ我が身にもそんなことが起きるのか・・も心して、
ただただ、今日という日をしっかり生きるのに。

被災された皆様に、心から哀悼の意を捧げます。

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