花なし、雨の墓参りもよし。

もうすぐお彼岸だ。でも、その日にお墓に行けない人も多くいるだろう。

雨の平日、お墓まいりにつきあう。
お墓にいく道すがら、花屋もなかったのもあるが、
「雨だから、何もなくていいよ。線香も濡れるし、今日は何もなくていい」
へ?そんなでいいのかな?と思いながらも、ま、いいかとついていく。

これまで、お墓まいりで、天気の悪かったことは一度もなかった。

傘をさしてのお墓まいり。敷地内には自分たち以外誰もいない。
相方は車から洗車ブラシを持ち、両親の墓石に向かう。
「今日は、これだけでいい」

一年ぶりだ。

いつもながら、息子が親の墓を掃除するのを、私は助手のように後ろに立って
必要なことは手伝いながら、それ以外はじっと相方の背中を見守る。
墓石に書かれた、命日の記録を見て、ああ、もうこんなに月日が経ったのかと
在りし日のさまざまな場面を思い出し、相方に出会ったのも、親御さんが亡くなったのも、すべて平成であったことを、今さらのように、思い起こす。
気が付けば、十数年も経っているとは・・。人生はこんな風に過ぎていってしまうのだとも・・。
「〇〇さん、一年ぶりに息子さん、きましたよ。」
とひとり相方のご両親に心の中で声をかける。

墓石は、洗車ブラシでみるみるきれいに洗われ、雨が仕上げのリンスみたいになってぴかぴかになった。
「はい。」
一通り掃除を終え、一緒に手を合わせて、古くなった花をもって、退散する。

首都圏から引っ越して、お墓も遠くなったが、それでも一年に一度は訪ねる。
今回、花も線香もなかったけれど、息子が掃除しにきてくれて、きっと空の上から喜んでおられるのだと思った。

雨のお墓参り。
なんともいえない、静かな時間。
いい親孝行の後ろ姿を見ながら、
ひとつ空との1年ごしの、約束を果たしたような気がした。

また、いつか。そのうち。
相手を記憶していれば、相手は心のなかに生き続ける。
ふたりのいい笑顔がよみがえる。感謝をもって、ちょっと早い春の雨彼岸。








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