ドイツに対しての思いは、年を重ねるにつれ、深い揺るがないものになっている。思い起こせば、子供時代の音楽、学生時代の哲学、会社員時代の印刷。自分の人生においての「新世界」とくに精神的分野においてでは、ドイツのものがほとんどであった。理解しやすかった、馴染みやすかったのかもしれない。
そのなかでも、歴史の授業でルネサンスの三大発明として暗記させられた、火薬、羅針盤、印刷。この3つとも私の新世界に何等かの影響を与えているが、とくに印刷。このコミュニケーション伝達の技術が15世紀に生まれていなければ、人類はどうなっていただろうか?今日のデジタル社会も、間違いなく「多くの人に伝える」ことを最初に実践した印刷なしには、成立しなかったと思う。
3年ほど前にたまたま出向いたマインツ。そのときグーテンベルクなる人物がこの町の出身であることを初めて知った。そして、今回再びこの町をたずね、博物館に入ってみる。ドイツは、まさにコミュニケーション先進国だ。
カトリック時代は、教会こそがメディアであった。だから立派な建造物が必要であった。宗教改革により、もっと身近な普及、手段が求められた。そこで聖書の登場だ。もともと手書きで長き年月を経て、書き写されていたものが、グーテンベルクの活版印刷発明により、複製の制作が容易となり、宗教改革を成功へ導く。
どうやら、この印刷技術が最初に成功したのは「免罪符」の印刷だったそう。刷れば売れた。言い方が悪いが、神の名を借りた、宝くじのようなものか。その後、手間暇のかかる聖書の印刷へとグーテンベルクの技術発明はさらに進化・深化する。
このたび、当博物館のスタッフ マイケルさんが見学者に活版印刷のデモをしているところを体験。当時の聖書印刷をわかりやすく解説しながら、主要工程をやってみせ、見学者にも一部参加してもらうプログラムだ。実際に重いプレスを動かし、1枚1枚刷っていく大変さを伝える。
このように発明から600年以上経過した今も、ドイツとくに、マインツの人々は誇りをもって、活版印刷の父であるグーテンベルクの人と技を伝え続けている。そのこと自体に感心し、当日は少女が印刷体験をしていることにも感心した。若いときにこそ、こういった体験は大切だ。
聖書の存在がなければ、印刷は生まれなかった。まず、コンテンツありなのだ。
何を誰に伝えたいのか。その目的があったからこそ、この道は成功したのだ。
グーテンベルクが歩き、悩み考えたこのマインツの道を歩きながら、印刷という発明を今こそ大切にしたいと思った。
書ききれない。本件は、また改めて。
グーテンベルクは永遠に。
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