「じじい」の定義

ある70歳を越しておられる方からのメールのタイトルに「生涯じじいと言われたくない〇〇より」と書いてあり、驚いた。どんな意図でもってそれを私宛てのメールのタイトルにしておられるのかを考えた。別にそんなことを書かなくても、常に精力的に生きておられる方なので、そんなこと思ってもいないし、周囲も思っていないだろうに。だからあえてそんなことを書く必要もないし、書かない方がいいのにと思ってしまった。若々しくあるようにがんばっているけれども、やっぱり年をとってきていることを一番自覚するのは自分であるため、自分に強く言い聞かせることで、老いを跳ね返したい・・そんな意志の表れなのだろうか。なんとも言えない気持ちになった。一方、癌を患いながらも元気に仕事されている男性。こちらも同じ世代であろう。久しぶりにお会いしたら「もういいかげん、じじいなんだから、じじいはじじいらしくしなきゃいかんのですわ~わはは~」といいながら、仕事上、的確な発言をされ、そのオープンさと自然さに好感をもった。
お年寄りが「おじいさん」と呼ばれたい呼ばれたくない、いつまでも「お兄さん」と言われたい人もいるだろう。また「じじい」はなんだか見捨てられたような感じだからそう呼ばれたくない・・・とかそんな人もいるだろう。好感をもって「あのじじい」とは呼ばないだろうから、好感をもたれる人でありたいということかもしれない。人にどう呼ばれたいかと常に意識する・・それは、どう見られているかと同義であろう。自分の場合は「おばさん」と言われることは見た目は少ないけれども、見えないところでは「あのおばはん」と言われているかもしれないが、それは自分がそう見えているからだろう。「私をおばはんと呼ぶな!」と言う前に、言われたくなかったら、まず自分がそう見えないように努力するのがいい。それにしても、自然体の方がいい。もうシニアといっても世の中「じじばば」だらけなのだから、すべて自然体でよいのでは。いろんな年輩の方にお会いするなかで、いい年輪とは・・・とつい、思ってしまう今日この頃だ。

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