パリは遠くにありて、思うとこ

約3年ぶりのパリ訪問になっただろうか。大変久しぶりであった。
20代の頃よりNYと同じく、パリは私の自立の芽生え、創造の目覚めの拠点であり、感性を磨くには最高のステージであり、過去の芸術家たちがパリを憧れ、世界から集まってきたことに納得し、また自分もその人生に憧れた。
そのなかでも、移動観覧車との出会いは、グラン・ルーのはじまりとなった。

しかし、今回の訪問はこれまでにない、パリの違う空気を感じ、違和感を抱くものとなった。
まず、地下鉄も人も、町が怒っているかのように、乱暴で冷たい。ゆとりがないような感じを受けたのだ。町の落書き、いたるところで舞い上がる工事から出る粉塵、車の苛立ったクラクションなどもその印象を強くした。
長年愛していた老舗食料品店が倒産したのは知っていたが、第三者が運営しているのかと期待をもって店の前に向かったが、すでに店舗の取り壊し工事がされており、赤黒のファサードが美しかった店舗は瓦礫となっており、大変ショックを受けた。言い方は悪いがパリの凋落を感じた・・。
歳月の移ろいと、過去の栄光が、あっけなくなくなっていく現実に寂しさを感じた。

教会の前に、街角に乞食がいる。
パリに来ると必ず訪れるマドレーヌ寺院の石段前にもひとり。素直に気の毒と思って、小銭を彼が差し出す入れ物に入れた。その乞食は、物乞いをしているときは、これ以上ないぐらい、悲しい表情で、何かしないではいられない気持ちになるのに、入れた小銭の金額が少なかったのか、その乞食の表情が変わった。
その様子にちょっと腹が立った。ここに座って物乞いする元気があるなら、どっかで働けば?!とつい思ってしまったのだ。感謝の気持ちがないことへのいら立ちだった。


歩き疲れ、どの都市にもある有名コーヒーチェーンに行った。買ったコーヒーポットの蓋がうまく機能しないので、買ったレジにもう一度並んで、そのことを尋ねたら、ものすごい目でにらまれた。「そんなこともわからんのか?いなかもん」という感じのこわさであった。ちなみに10代後半のオンナの子だ。
外国人や、わからないと尋ねるお客に寛容ではない、冷たい応対をする。繁盛店であるから、次々機械のように接客を続けているようだったので、忙しいところに面倒くさい客になってしまったのだろう・・。そんな怖い顔をするなら、ロボットの接客の方がまだいいわ・・。と思った。

 もちろん街角には優しい人にも、楽しい販売員にも出会った。そこは昔と変わらない。また訪ねたい場所は無数にある。しかし、明らかに何かが昔と違うのだ。
パリに住む人たちにとても深刻な問題は大気汚染。車が多すぎて、せき込んでしまう。自慢のエッフェル塔も光化学スモッグになる日もあるそうだ。
今回、私も何回もせき込んだ。他の町ではまずないことだ。いや、以前北京でそんなことがあって以来、北京に行くと健康を害すると思い、足が遠のいたことを思い出した。


 またパリでは、ことのほか屋外で喫煙する人が多く、すれ違うとものすごい匂いがし、煙たく、つらい。煙草を吸う人が増えているだろうか?
道で、カフェのテラスで・・。屋外ならOKということになっているのだろう。そこでは隣が禁煙愛好家であるとか、嫌煙家であるかは、関係ない。一歩外に出れば、ここは吸っていい自由の場所だ・・といった感じだ。それもちょっと節ない。煙をよけてパリを歩くのは楽しくない。

今回、あてにしていたお店、営業時間になっても店には店主もだれも来ない。
営業時間は店前に掲示してあるし、遅れるとか休みとかのメッセ―ジもなく、店頭に記載されている時間に店に行っても店の人が来ない。
何かが機能マヒのような感じなのか、おおらかなのか・・。待ちぼうけも時間がもったいなく、15分だけ待ってあきらめる。パリってこんなルーズな町だったっけ・・。

高いお金を払えば、もてなしを受けることができる。
自分の言いたいことを言う自由がある。
確かにそれがパリでもある。そこは変わらない。
だから、自分を表現する、発信するその方法として、ファッション文化・産業が栄えたのかもしれない。建築物が素晴らしいのもそういうことかもしれない。

毎週末続いている、黄色いベストのデモ騒動を心配しての、久しぶりの訪問となったが、本当に現実も怖かった。カフェに入り、隣の人にこんなに気を遣って、財布をバッグを取られないようにと気を遣わなくていけないのは、観光都市の本来の姿とは言えない。

ここまで今回のパリ数時間の滞在に感じたことを書き連ねたが、日本人はパリが好きだ。憧れをもっている。

そして、私自身もグラン・ルーの発祥、ということだけでも、好きであり続けたい。が、もしかしたら、故郷に対して、遠くで思っていた方が思いが募るように、今のパリは、少なくとも私にとっては、「パリは遠くにありて思うとこ」
なのかもしれない。
オペラ座が美しいことは、エッフェル塔がそびえたっていることは、そしてセーヌ川が流れていることは、何も変わらない。

とても残念な思いで、7時間の滞在を終え、パリを出た。フランクフルトの駅に電車が付いたとき、とても安心したのは何だろう。
パリを心のなかで思い起こす。今しばらく、心の中で抱き続けるとしよう。

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