拝啓 マリア ベートーベン様

MARIA MAGDALENA BEETHOVEN。この方は楽聖として今なお、世界中に知られ、愛されているベートーベンのお母さまの名前だ。
来年2020年はベートーベンの生誕250周年で、(オリンピックよりこちらの方が感慨深い)その記念事業の準備などで、地元ボンの町でも準備が始まりつつあるようであるが、このきっかけに、そしてここのところ、このお母さまのお墓に久しぶりに行きたいと思っていた。
3回目の訪問になる。前回はもう3年ほど前だろうか・・。
ボン駅前からも、町の中心街かれもほど近い古墓地のなかにある、このお母さまのお墓。不思議なのは、日本の場合の多くは、家ごとのお墓であり、先祖代々が同じ墓に眠るというのが通例と思うが、コチラではいろんなケースがあるようで、ベートーベンのお墓もふるさとボンにはない。この写真は、お母さまのお墓だ。
墓石によると1787年に亡くなっているから、ベートーベンが17歳のときだ。
だから、成功した作曲家、国葬をも行うほどの人物に成長した息子のことは知らないで昇天されたことになる。
しかし、このマリアさんがいなければ、ベートーベンはこの世に誕生しなかったのであるから、この母の存在に感謝し、祈りを捧げる人は多い。実際、周囲のお墓には朽ちたものが少なくないが、このお墓はきちんと手入れがされている。

、子どもが後世に残す仕事をしたから、このマリアさんが亡くなって200年以上経過しても、世界中からお墓参りに来る人はなくならない。すごい人生だと思う。ベートーベン自身への思いはもちろん、作品が演奏され続ける限り、人々は次代を越えて愛し、それを受け継いでいくだろうが、そのお母さまの存在は絶大なのだ。
墓石に手を合わせ、「ありがとうございました。マリアさんのおかげで、ベートーベンを知り、音楽を知りました」とひとり語り掛けた。そしてひとりで「フロイデ!」と第九を歌いながら、墓を出た。ベートーベンのパレードのような気持ちで・・。(そうでもしないと、誰もいない墓地は・・・であったのもある)

私はこのままいくと、後世に残る仕事はなかなか・・・難しいため、何百年後も先祖がお参りされることはない。まだ間に合うか?いや、無理だ。と、おかしな問答を自分の中で繰り返した。

マリアさん、また来ます。あなたのおかげで、ベートーベンのおかげで、世界中が歓びも哀しみも心豊かに表現することを知ることができました。

偉大なるベートーベンのおかげで、ボンという町を小学生の頃から知り、憧れ、そして訪れる。そんな元音楽少女たちも少なくないだろう。




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