「自由」について今こそ。

新作ではないが、やっと観ることができた映画。「スノーデン」。そう、情報スパイとして、米国から追われ、亡命を続けている元CIAの実在の人物のことを描いた映画。ストーリーも実際、実話にもとづいているというから、気になっていた。
911で世界では、テロが当たりまえのようになってしまった。
自分の、自国の安全を確保するのが難しい。そして、その安全は、情報の監視という点からもつねに脅かされていることを、改めて知る。

今回の映画でもっとも恐ろしいと思ったのは、日本の国家安全を握る重要な情報はアメリカの手中にあるということ。もし、同盟国でなくなれば、日本を消すことは容易だということ。今日の味方は明日の敵になるかもしれないが、日ごろからの関係づくりのむつかしさを改めて知る。

そして、アメリカの情報機関では、世界中の人々の情報を監視することができるとのこと。情報を監視ということは、身を拘束されていることと同義である。
なんでも、好きなように情報のやりとりができ、好きなように情報発信をして、共有しているかのような日頃の生活の中、裏では自分がどんな嗜好があり、交流があり・・・といった個人情報が盗み取られているのだ。

Amazonで検索した情報がすぐ、他のサイトを見ていても広告として目に飛び込んでくる。人の行動を先導する。気持ち悪い世の中だ。

ネットがないと生きられない・・というのは、実は不自由なのかもしれない。
いや、不自由なのだ。
自由とは何か。もしかしたら、ネット社会から遮断された自分を確立する準備をした方が良い。といいつつ、ブログを毎日書き続けているが、これは不自由に向かっているのだろうか?目指すのは反対の方向であるが・・。

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