その人の母に感謝し、妄想するひと時

久しぶりにボンを訪れる。ベートーベンが生まれた町だ。例によりベートーベンハウスに立ち寄り、わが人生の師に見えない教えをいただきたいとの目的は毎度のことだが、今回、ふとこの師の母親のことが気になった。ボン駅前にあったベートーベンゆかりの地の地図らしきものにベートーベンの母の墓のことが記載されていたからだ。
実は、最初にボンに来たとき、雨に降られ突然乗ったタクシーに連れていってもらったことがあったのに、すっかりしばらく忘れていたのを思い出したのだ。そうそう、シューマン夫妻と同じお墓だった。ドライバーは気を利かせて連れてきてくれたが、そのときはベートーベン自身のお墓でなかったせいか、あまり印象に残っていなかったのが正直なところ。
ところが今回はその地図をみたとたん、ベートーベンの「母」のことが急に気になってしまった。よし、会いにいこう。
またもや妄想が始まった。ボン駅から遠くないところにお墓があったのはうっすらと覚えていた。そして記憶どおりにその墓地に到着。西洋の墓地はどうもなんとも・・身がすくむが、今回も同じだ。その怖さを抑えて、その母の墓石を探し、さほど目立たないところではあったが、すぐに見つけることができた。そうか、なぜドライバーが前回連れてきてくれたか。こんな偉大な方を生んだ方なんだよ。母こそ、われらの誇りだよ!という意味だったのかもしれない。
今回、墓石の前に立ち、いろんなことを想像した。どんなお母さまだったのだろうか~。と・・。子供のころに読んだ伝記では厳格な音楽家の父の元、かなりスパルタ的な音楽教育を受け育ったようで、母親ことほあまり記述されていなかったが、少し調べてみると
このお母さまは40歳で(当時ベートーベンが16歳)なくなってしまったようで、息子の成功を知ることもない、はかない人生だったようであるが、ベートーベンは母に大切にされ、母親こそが自分の師であると言っていたという記述を知り、胸が熱くなった。
このお母さんがいたから、世界中の人が今なお感動してやまない名作が生まれたといっても過言ではないだろう。
日本でも偉人の母のお墓を案内している例は多くないと思うが、どんな人もその母により、父により存在していることを今回の妄想で再確認した。ところで、ベートーベンは母親のことを思って曲を作ったことがあるのかな?これはまだ調べていないが、そのことがわかる前に、代わりに書いてみるかな。またまた妄想。ベートーベンの母に贈る歌か。今年の自分の課題のひとつに早速入れてみる。
大好きな人の親に感謝するということは大切だ。このあと、再び生家を訪ね、生まれた部屋を見る。お母さんがベートーベンを生む場面が映画のように浮かんできた。

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