お坊さんの涙

なぜか、僧侶や神父さんなど、聖職者の方々には幼いときから、超越者的な印象があった。この方たちは、人々の生き死にに接し、悩める人々の心の救済も行うのがつとめであり、そのために大変な修行もされている。だから、一般の生活者と比べると精神的に強く、芯が強く、懐が深く、聡明、冷静でなければできない仕事であると思っていた。もちろん、寛容さや受容力も持ち備えていることは必須であろう。
だから、お坊さんや神父さんは、感情をあまり表に出さない・・そんな印象があった。笑っても、うれしくても、馬鹿笑いなどはせず、静かに笑みを浮かべる程度か・・。感情の上に立つ存在のような勝手な印象をもっていた。
だから、人前で泣くいう行為は絶対ないと思い込んでいた。
 お葬儀などを執り行うときに、お坊さんや神父さんが泣いている光景はちょっと想像できない。もしかしたら時に、心の中で泣かれることはあることはあるかもしれないが・・。

しかし、今回、お坊さんが泣いておられるのを見た。
私ごときの演奏を聴かれ、泣いておられた。
私は、実はこの1時間あまりの公演で、実は、このワンシーンが一番心に響いた。自分の演奏人生のなかで、ない経験であった・・。
「お坊さんも、泣かれるんだ・・。」
演奏後、挨拶をされる予定が、言葉にならず、場内がしばらく静けさに包まれた。
それは、そのコンサートが始まる前に皆さんが体験されていた、禅の祈りのときと同じ静けさであった。

私はお客様たちが、多くのあたたかい拍手をくださったことにもちろん感動したが、それ以上に、お坊さんの涙に、これまで感じたことのない感動を覚えた。
舞台裏でそのお坊さんと笑って再会。すると、
「泣いてしまったやないかい」と一言。

ああ、人々に人生の教えを導かれるこのような聖職者も、やっぱり人間だな~。
とあたたかい情が全身に流れているのを感じた。

お坊さんは雲上の人ではない。普通に人間としての一生を送られる。
だから、人の気持ちも、悩みも理解される。
自身も悩み、乗り越え生きてこられている経験のなかで、
確かなる教えを、悩める人たちに与えておられる。

お坊さんの涙。人間らしい、人間くさい、生身のひとりの人間としての僧侶。
こんな一面もあって、人々はより親しみをもって、悩みを打ち明け、そして人生の節目にお世話になりたくなるのだろう。お寺の敷居を上げる、下げるはもしかしたら、お坊さん自身のいきざま、人生の向かい方、背中にもかかっているのかも・・。
いろんな施策以上に、「この人にお経をあげてもらいたい」という「この人」という部分がとても重要ではないか・・・。なんて、門外漢が思ってしまった。
お坊さんの涙、これ以上ありがたいものはない。心から感謝を込めて。


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