8年前のこの日、同じ場所にいた

旅専用の雑記帳というか、日記帳というか「journal」という名がついた秘密の黒いノートがある。十年以上前に、NYの文具屋で入手したものだと覚えている。旅は心の非日常を描く上でも大切な時間とし、そのノートを持参し、出発し、自分との対話をそこに記す。だいたいはホテルであったり、カフェであったり、電車の中であったり、朝昼夜を問わず、まさに徒然なるままに、書き記していく。第三者の読者を想定していない。書いたものを脈絡なく読み返すのも旅時間の楽しみ、感動の復習というのもなかなか楽しかったりする。しかし、そのノートは義務ではなく自由に気ままに記されるjournalであり、1冊書き終えるにはかなりの時間を要する、さらにたまに他のノートに浮気したりして、まさに気ままに使っていて、中途半端ではある。この1冊を今回も持ち歩く。もう今回で書き終えるだろうと思いながら、過去に書いたページをペラペラ逆にめくってその時間に自分が書いていたことに向かうのも、また楽しい。ふと見ると8年前の記述がみつかる、同じ日時、なんと今自分がいる同じ場所~フランクフルト~にいることがわかり、びっくりする。住んでいるわけでもないのに、確率的にはかなり低いびっくりの偶然だ。8年前の自分が今自分がいる場所と同じ場所で書いた文章を読むのはなんとも面白い。時代も変わり、自分も50代に突入し、あれこれ小さな変化はもちろんあるが、共通して言えることは、やっぱり自分は旅をしながら自分について考え、いつも答えを出せずにいるのだ。明日への不安を持ちながらも、きょうの幸運を楽しみ、そして常に自分は何のためにいるのかと考えている。ゲーテやシラーの日記ならば、後世に残る貴重なメッセージ集であろうが、私の1冊は低俗で、人には見せられないが、自分で楽しむには最高の回顧録だ。しかし意図せずに、何年かぶりに同じ場所で自分をみつめることができるとは・・・。
気になるところへは必ず戻ってくる・・・そんな習性もあるのかもしれない。

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