情緒的な意味合いにおいて、ロマンチックという言葉はなんと魅力的であるかと思っており、人生を語る上で、また文芸や芸術の世界では、用いるのがふさわしいテーマであり、エクセレントワードでもある。
この「ロマンチック」の語源はローマ帝国時代にさかのぼるらしい。それが正式に滅亡してから考えても550年以上前のことであるから、語源はかなり古い。繁栄を誇っていた時代は、どこの民族、国家よりも自由に満ち、柔軟的で抒情的で新しさをもっていたらしきローマ社会。
しかし、そのローマ社会の本性は人間の欲望に素直であり、快楽的であり・・・その結果、内部から崩壊、没落していった・・。
「パンとサーカス」にあけくれ、賢明に働くとか。人として何をなすべきかと考えることもなく、放蕩な生き方をしたことがローマの没落につながったと、勤勉なゲルマン社会と対比しつづられている書物もあるが、すでに40年前に、そのローマ社会と現代の日本社会は似ているのではないか?ということに触れていた著作の存在を知り、愕然となった。パンとサーカス・・・。確かに現代の日本、そして欧米社会も中国も・・みんなそうなっているのではないか。パンとはグルメのこと、サーカスとは何か面白い見世物、イベント。
その欲望をあおるように情報が氾濫している・・。まさに現代のローマ、ここにあり??そんなことしていたら、滅びるよ。と、歴史が証明しているというのだ。
人はロマンチックすぎると退廃的になる。たしかにそうだ。それだけでは生き永らえることができない。
偶然にも、昨年秋からのわがライブツアーはそのテーマを「ロマンチック P」と命名しているが、
ローマ帝国と現代社会との共通点など考えることもなく、ただ人間、ただロマンチックだけを求めていては生きていけないな・・・と思い、そこにパワフル、パッショナート、ピース、パーソナル、ポジティブの意味も込め、生きる力としてのロマンチックを表現していたが、この命名の意図が間違っていなかったことに安堵を感じるとともに、この日本もこのままでは・・という危機感もより強く抱いてしまう。
言葉だけではなく、行動を起こす。何をすれば元気な社会になるのか。
目先の享楽だけでなく、根本的に己の生存意義を確認し、それに向かって行動すること。情報社会に踊らされることなく、生きなければ・・・。