安心して、この長寿社会を生きるためには、いろんな備えが必要なようだ。
おそらく、このような超高齢化社会になっていなければ、そんなことを考える必要もなかった。考える前に寿命が尽きていたのかもしれないが・・。
最近、あるお寺のご住職と話をしていて、近年、いかにお寺の地域貢献が必要になってきたかという話題になった。言い換えれば、それが存続の意義にもなると思うが、お寺自身も檀家の減少が著しいなか、どう地域に寄り添い、役立つ存在になっていくかが問われているようだ。
そのご住職は、できれば檀家のみなさんと、もっと気軽に話がしたいとのこと。言い換えれば、敷居を低くしたいのだそうだ。
葬式や法事といった仏事でのつきあい、お墓の問題。これはもちろんお寺さんにお世話になる方が多いが、できればもっと日常的に話し相手になり、老いていく人々、またその家族の心の面からの不安を取り除き、よき相談相手として檀家のみなさんの人生を見送り、見守りたいとのこと。最近巷では、仏事サービスが、ネット注文できてしまうという、驚く現象も一部にはあるが、地方では特に、寺と檀家の関係を大切にしようと地道に努力されているようだ。今回その実情を知り、少し安堵する。
そのご住職いわく、これからの高齢化社会で必要なものは、マイドクター、マイロイヤー(法律家)、そして マイボウズ(坊主)であるという。健康・体のことは医者、相続などさまざまなやっかいなことは法律の専門家、そして心の問題や仏事、お墓の問題はお寺へ・・。ということだそうだ。その三者が周りにいてくれたら、かなり安心して人生のクライマックスを過ごせるだろうとのこと。
いろんな目線から高齢化社会を見ることは大切であり、その社会のなかで自分がどんな役割をもって生きるのかを明確にしていくことは大変重要なこと。
お坊さんも、社会の変化に対応し、発信していく時代になってきた。心の面から、どうぞ世の中を元気にしていっていただきたい。
私自身は、宗教には直接は無縁であるけれど、心の面からという点に共感するし、そちら側から人々のお役に立てたら、、と思う今日この頃。
四半世紀の再会、再び巡ってきたご縁。時には異業種交流兼ねて、お坊さまとのコミュニケーションも意義深く、大変有り難い。