美術館の役割と存在意義。

美術館は、私にとって公私ともに、発想、発案の泉であり、心の洗い場である。
世界の、日本のどの町に行っても、美術館と聞けば、まずチェックして、自分の興味あるテーマ、作品があれば、足を踏み入れる。
今回、初めて訪れた美術館は、徳島の大塚国際美術館。「とにかく、一度は行く価値がある」と言われていた。どんな価値なんだろう?と、一定の興味はあった。
淡路島から少し足を延ばし、鳴門のこの美術館に出向く。
巨大な敷地。美術館の前にも不思議な迎賓館。どこか遠くの国へ来たような感じになるが、いずれも、大塚グループの建物。

さて、この美術館はグループ会社の陶板の転写技術で、世界の名画たちを複製、一挙公開されたもの。絵画のみならず、システィナ礼拝堂から、世界の著名な建築物、建造物を、陶板を用いながらダイナミックに再現している。
ゴッホの7つのひまわりという作品は、転写技術に加え、職人の手技も生かされ、特に素晴らしく、見事に仕上がっていると感じたが、それ以外にも世界中の、おなじみの名画たちがずらりそろっているそのボリューム、規模にとにかく驚く。
「よくここまで作ったな~。さすが」
こちらの企業は商品開発でも大変ユニークで、世界的にも有名であるが、この美術館も税金対策で名画を買って展示するという美術館ではなく、自社の技術を著作権のない名画を使って見せ、しかも他の美術館より高価な入場料をとる。これ自体がしっかり新事業、ビジネスだという点も感心する。
四国の玄関の観光地として、認知度も高く、平日でも多くの人が集まっていた。
アートに、より多くの人が親しめるという点での貢献度は大きい。
「ルノアール見てきたわ」「モネの水連、庭にあったわ」という感じ。
しかし、いずれも本物ではない、本物の絵画は1点もない。

たとえば、何点かでも、その絵の本物があり、それと比べさせてくれるならば、それはそれで面白いかもしれないが、とにかく、ここはすべて「転写物」。
転写物でアートを楽しむ空間なのだ。
確かに、美術館とは、本物の名画を展示する場所・・という定義はないはずであるので、この美術館も大いに役割、意義がある。

国内に、世界にこのような発想なミュージアムが存在し、にぎわっている点に感心し、またその一方、やたら本物を見たくなってきた。

いろんなアートがあり、いろんな人が楽しめる。それはそれでよし。
この企業の50周年事業のひとつで、地元に貢献したいとの思いから生まれたミュージアムだそう。あっぱれな発想、行動力。できれば入場料を他の美術館並、もしくはそれ以下にしてくれたら、もっと来場者が増える?
いや、ここは美術館ではなく、世界の美術館を陶板技術で巡るテーマパークといえば納得?
いろんな面で学びの多い、美術館探訪であった。
お世話になった時代のこの企業の、歴代の経営者のことを想い乍ら、時代の変化と、普遍なる企業文化について、考えるいい機会になった。



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