赤坂メキシカンにグラシアス!

時々、思い出していた。あの美味しいタコスと、異国情緒に満ちた空間。そこはメキシコ、ラテンワールド。不思議なマスターと懐の深いママが営むメキシカンレストラン&ライブハウス。
 仕事で知り合った知人からの紹介で知った、いかにも赤坂な隠れ家的スポットであった。
「ピアノがあるから、ライブやりなよ。」「でも、グランドピアノじゃないから」「何、贅沢いってんだよ(笑)」と、懐かしき会話。
そんな感じでマスターにすすめられ、そして当時、ライブありのコミュニケーションサロンを定期開催していた私は、このお店でマーサ倶楽部開催の機会を得た。
このイベントも15年前のこと。
それ以外にも、知人のマジシャンとここでマジックライブを何度かやった。
 そう、昨日のことのようだが、そんなに時間が経ったのかと改めて思い出す

 その後、ラテン音楽への興味が深まり、アルゼンチンタンゴの魅力を知ったのもこの店との出会いがきっかけだった。ピアソラの演奏も何度かここで聴いた。また、ブエノスアイレスに行ったときにアルゼンチンの国旗を1枚買ってきてとマスターがと依頼され、本当に買ってきたらたいそう喜ばれた。
伺ってはご無沙汰し、ご無沙汰しては伺い・・。

最後にお会いしたのは数年前だろうか。
自分のCDとマスターのそれを交換した。私が書いた曲の歌詞を見て
「長いな~」と一言。
今思えば、マスターと交わした最後の会話は、もしかしたら、それかもしれない。
なんとなく気になっていたのに、引っ越しもして、赤坂に行く機会が減った。
ふと、またあのタコスが食べたいと思い、店のホームページを確認したら、
見ない間に公式サイトがフェイスブックに代わっていた。あ、もしかして・・。
 そして、いろいろ検索していくと、当たってほしくない予感どおり・・。
そのマスターは帰らぬ人になっていた。
 ああ、引っ越す前に会いに行っておくべきだった。引っ越してからでも、行っておけばよかった。預かっていた資料もあったのに・・。
 TOKYOにいて、ラテンの世界を本格的に体感できた、そして自分の世界が広がったのは、赤坂のあの店の存在のおかげだったと、今改めて思う。
 マスターは、有名なラテンユニットの創設メンバーだったとのこと。
昭和の良き時代に、日本にラテン文化を広めた立役者だった。

 ちょっとシニカルで、いつもかみ合わない会話のようであったが、今となっては懐かしい。多くの人にラテンを伝え、ラテン文化のコミュニケーションの場を提供してくれた。そして、ママが作ってくれるタコスも絶品。

店は今も受け継がれているようだ。近々、赤坂に、萩マスターの影に会いに行きたいと思っている。

今、15年前のアンベさんでのライブのレポートを久しぶりにチェック。懐かしい人たちの面影を見ながら、15年の月日をかみしめる。

アンベの萩マスター、アディオス。そして、グラシアス!

2005年開催マーサクラブレポートhttp://www.mahsa.jp/mclubf10.html

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