自宅で正月を迎えるありがたさ

ひと昔前までは、年末年始は海外で、京都で・・という経験も何度かあった。
今から思えば、大晦日のパーティーの喧騒のせいでの睡眠不足や、元旦にパリの通りやエッフェル塔の下でみつけたシャンパンの瓶の破片。
そういえば、元旦にエディットピアフの生家をたずねたことも、今となっては懐しい。
国内では京都での時間がやはり印象的。THE NIPPONの正月という空気、休まない京都の町を実感。観光地こそ、正月は賑やかになる。

一方、最近は静かに自宅にいて普通に新年を迎えるようになった。
普段どおりに、がいい。

前置きが長くなった。
闘病生活を続け、入院されている知り合いが、正月は自宅で過ごしたいと病院に希望を出され、希望叶っての帰宅となった。
その帰宅時間にあわせて、好物のカステラを送る。
あたたかい部屋で長崎のことを思い出しながら、おいしいひとときを味わって
いただきたい・・。

新年を病院で過ごすのは、どんな思いか・・。旅行に行かなくてもいいから、
せめて正月は自分の家で、ゆっくり過ごしたい・・。もし、自分が病に伏しても
そう願うことだろう。

それぞれの新年がやってくる。やはり元気に好きなように過ごせる、自分なりの新年を迎えることができるのが一番だ。被災され、ご不便な状態で新年を迎える方もいらっしゃる。そう思うと、自宅で暖かいお正月を迎えることができるのは最高のお年玉だと思う。

もうすぐ2018年の365日が過ぎ、次の365分の一が始まる。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク