人間はやっぱ、みな平等。

誰にとっても
1日24時間365日。
それを繰り返して、人生が過ぎる。
これは誰にとっても同じこと。
1日25時間の人もいないし、1年400日の人もいない。
時計は人間平等証のツールだ。
どうせ同じ時間を刻むなら、自分ならではの
意義ある時間を重ねたいと思う。

またいつその人生時計が止まるかもしれないという点も
皆、同じ。
時計はやっぱり、人間平等証のツールだ。
明日のことが見えないから、であれば、よりいい方向にと考えたくなる。
夢とはそんな願望からうまれるのではないか。

人生の終わりを自分で決められない。
これは人であれば皆同じ。
自死を選びそれが叶えば別であろうが、それもそういう宿命
というタイミングなのかもしれず・・。
そう思えば、そこも含め、人間はいつまで生きるかあらかじめ
分からないという点でも平等だ。

最近さらに、もうひとつ思うこと。
誰しも、人に喜んでもらったり、感謝されることが嬉しい。
そこも共通している点だ。
それが人間らしき生きること、存在意義に関わってくる。

以上を考えると、総じて、
本来人間は平等であり、根本は同じだということ。

この基本を忘れず、
毎日一生懸命、謙虚に、受け入れることを恐れず、
そして愛をもって生きていきたい。

お客様が喜んでくださる瞬間の連続に出会うことで
最近そんな思いを強くする。

皆 もともと平等。
あとは自分次第。

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