京都の魅せる力、限りなく。

京都はパリと並ぶ、もしかしたらそれ以上の、国際観光都市だ。
何度足を運んでも、人々を飽きさせることのない「見どころ」が無数にある。
もし、京都に行って、「もういいかな」と興味の糸が切れるとしたら、
観光客の多さでますます混みあう錦市場ぐらいか。
でも、この混雑ぶりに負けずに、面白い食材を探すのも、魅力のひとつだ。

秋となれば、有名寺院の夜のライトアップ。
本サービスは、清水寺から知恩院、永観堂などでただいま、開催中だ。
実は、ここに住んでいた若き時代は、このようなアトラクションはまだなく、
また離れてからは、タイミングが合わず、またわざわざ夜のお寺に行く興味も沸かず、
普段より高いお金を払うのもどうかと思いつつ、今じゃなくていいや
と思い、一度も体験したことがなかったが、今回、初めて青蓮院の
ライトアップに出かけてみる。

17時になると、日が落ちて、ライトアップに万全なステージが
出来上がる。
寺に向かう道もほど暗く、大晦日に歩く京都の道とは違う、静けさ。
ただ、門に近づくにつれ、外国語の話声が聞こえてくる。
そうだ、海外からの観光客にしてみれば、ライトアップのお寺は珍しい
観光地だから、皆さん、ここぞ!とばかりにおいでになる。
静かに見たいのにな~。とちょっと残念に思いながら、門に入る。

真っ暗な庭の中に
碧いライトが浮かび上がり、幽玄な世界が広がった。
そして、さきほどまで気になっていた人々の話声も暗闇に包まれ
次第に静かになった。

夜は、昼のコースと反対のコースを歩くようになっている。
まずは、お堂の中から、ライトアップされた庭を見る。
スポットライトが当たる石、池、木々。
時間差でその光の場所が変わるのが面白い。

暗闇とは、人の心を落ち着け、また想像に向く。
そんなことを想い乍ら、寺の縁側に座って
真っ暗な庭をみつめていた。

昼見る世界と、夜見る世界の違い。

昼は目で見る、夜は心で観る・・の違いか?

次は、靴を履いて、庭を歩く。
進む方向がわかるようにだけ光は指しているが、
暗闇を歩くというのも、なかなかの経験だ。
近所の道を夜遅く歩く・・というのとは違う。
寺の庭を夜、歩く。
暗闇の中にみつける光。
足元を見ながら、気を付けて歩く夜の道。

ところどころ、みつけるまさにライトスポット。
暗闇のなかにみつける光とは・・。
この対照性も趣き深い。

やっと写真が撮れたのは、この竹藪。
敷地内にある神社の鳥居とのマッチングが見事だ。
昼には気づかないこの竹林。
夜、このライティングで存在に気付いた。

昼見る世界とはまったく違う、夜の寺院。
ライトアップがなければ、見る機会はできなかった。

このおかげで、寺の昼と夜の二面性を見ることで
世界の二面性をも想像することができ、
人生の暗闇と光についても考えるひとときを
得ることができた。

このように、京都は自らの魅せ方をよく知っている。
そして、その探求と挑戦にも意欲的だ。

存在自体が魅力的であるからこその、見事な発信力。

やはり、KYOTOはパリに並ぶ、世界の魅力都市だ。

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