車社会で原始人!

京都から東京での都会暮らしでは、自分の足と公共交通機関で動くというのが基本であり
歩くのも全然苦にならず。東京駅から神楽坂までもよく歩いたし、一日一万歩はざらで、
二万歩歩くと良く歩いたな~という感覚。
20代・30代はNYやパリに行けば、歩かにゃそんそん!と朝暗いうりにホテルを出て
一日10時間以上歩き続け、貪欲に町をリサーチしていた・・というわが青春時代。
歩きすぎると、足の裏が熱って、靴の底がすり減っていくような感覚になったこともあった。
疲れ果てて、ホテルに戻って・・・というパターン。
あるとき、パリ郊外にあるナポレオンの夫人ジョセフィーヌの住まいであった宮殿まで
行ったこともないし、当時ナビもないのに、地図片手に地下鉄とバスを乗り継ぎ、歩き歩いてやっと到着。。。
パリ市内から、何時間もかかった・・。なんて大変非効率な
経験もあり、とにかく「足で稼ぐ」が自分のモットー。そのプロセスとドキドキ感が魅力である。
自分の足で到着ときの感激は、たまらない!

とはいえ、現実の世界に戻ると、とくに新潟や岐阜などでは、車社会である。
ちょっとどこかへ歩いていくと言うと、皆さんに「はー?」「車、のってきゃー」と、
憐れみをもって言われてしまう。
そしてよくお世話になる。とくに雪国の人には車に乗せてもらえたから、10何年も
仕事ができたようなものだ。なんせ、「足」がないと、確かに不便ではある。
本当に皆さんにお世話になってきた。

車は便利。でも、私は乗らないと決めてきた。18歳になったら免許!とみんなが自動車学校へ
行く習慣に逆らった。なんで?車なんかなくてもいいじゃん・・という感じで・・。
自分に合っていないのもある、どうせなら、運転手を雇えるぐらいまで頑張ればよい。
とも思った。そうはなっていないが・・。いずれにせよ、生涯 運転をする気がないと
決めている。
だから、このままでいい。足を鍛えて、いくつになってもどんどん歩きたい。
年老いて、免許返納して途方に暮れるより、今から車に頼らないで生きていく術を
持っている方が良い。
と思っているが、車社会では、私は使えないおばさんになる。
でも、その分、人より早く出発して、
車での移動ではないことが遅刻の原因にならないよう、時間通り到着できるようにと常に心掛ける。

原始人だ。亀かもしれない。もしくは東海道を歩いた旅人のようだ。それがいい。道中を楽しむのだ。
いい、この感覚で、町を見ながら世界を見ながら歌いながら歩くのが、自分にとっての効率が
良い。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク