一日の短いひとときでも、心静かに自分と向き合うことは
とても大切である。
心豊かに、深く生きるために、ぜひ毎日、自分との対話時間を
もちたいものだ。
知り合いのクリスチャンの方は、毎日、瞑想をしているという。
確かに彼は、いつも落ち着き、ゆとりがあり、世の中に対しても
どこか俯瞰した見方をする、そんな力も備わっており、私にとっては
気高き宗教者的な感じがする尊敬すべき方だ。
そして、最近再会した、禅僧との会話で、座禅の話が出たが、
目をつむって瞑想するのが、ヨガなどをする人の瞑想。
一方、座禅は本来は、目を開けていてもできるものだと聞き、
驚いた。
目を見開いての座禅とは?知らなかった。
たとえば、室内のどこかで座禅を組んでいて、突然雨が降ってきた。
そうしたら、すみやかに洗濯ものを取り入れたり、雨戸を閉めて
また座禅に戻る。ということができるのも座禅のスタイルのひとつだそうだ。
つまり、世の中と遮断するのではなく、世の中の動きも見据えながら
自分と対話ができる。この対応力こそが、本来大切なのだ・・そうだ。
納得できるような気がする。
また、そうこうしていたら、Eテレにてタイで出家された、日本人僧侶が
手動座禅の話をされていた。
手を動かしながら、そのひとつひとつのアクションを感じ、自分が
今生きていることを感じながら、自分と向き合うスタイルだそうだ。
この手法、初めて知った。
ということで、座禅にもいろんな手法がある。
いろんな形が合ってよい。自分がやりやすい、
気づきやすいスタイルが良いのだろう。
世の中がどんどん狭くなり、生きづらい面も多い。
だからこそ、自らがしっかり生きるために、
自分に向き合う時間を大切にしたい。
そして、無になる状態になる。宇宙と一体になる。
そんな安らかなひとときが得られると、
その度ごとに、成長できるのだろう。
まさに追われる生活から脱するために。
大切にしたいひとときだ。