ホントに贅沢なわが人生。

定年はない。死ぬまで働く。これが当たり前。そう思って生きている。
自分で決めたのだから、それでよい。
仕事が切れることなく、いろんな経験を学びをいただき、
また行きたいところに行けて、
素敵な出会いをたくさんいただき、
会いたい人にあって、好きなことを仕事に生かして・・。
いろんな人にいつも助けられて・・・。

朝は入れたての珈琲を楽しみ、ときには紅茶を味わい、
いつも自分で好きなように過ごしている。
仕事はしんどいのは当たり前、人間関係もなにかあるのも当たり前、
毎日老いて行くのも当たり前、それはそれで抗うこともなく、自然体に。

生まれてから、戦争を知らないで生きている。
過去の歴史は情報としては少しだけわかっているが
実感はない。
平和が当たり前と思って生きている、
そんな幸せなことはない・・と、これも当たり前だと思ってきた。

もともと家が欲しいとか、結婚願望とかないが、
自分がしたいことは、ほとんど手に入れ、実現してきた。
大きなことではないが、小さなことばかりであるが、
本当に悔いないほどに、十分なほどに・・。

健康であれば、その気になれば・・・のおかげさまの人生だ。

よく考えたら、こんな贅沢な人生は、どこにあろうか?
もっともっと・・といえば、キリがないが
もうすでに、本当に好きなように生きてきているのだ。
これ以上、何かを求める必要はなし。

贅沢なわが人生。
本当に幸せなわが人生。

これを実感するときは、まさしく一杯のコーヒーを
入れてその香りを楽しんだり、
さりげない会話で嬉しい気持ちになったりするとき・・。

この気持ちを持続させ、一生このまま歩んでいけたらいい。

こんな贅沢な人生。
これ以上望んだら、バチがあたるだろう。。

でも、この元気と健康ができる限り続きますように。
とだけ、さらに贅沢を思ってしまう・・。

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