福祉の仕事をしている人は、本当に偉いと思う。
不自由な方に対して、必要な支援をし続けている。
高齢者への対応の仕方についても、最近そう思う。
たとえば、認知症になりかかった老人に、
それが自分の親であれば、そのことを認めたくないから
「そうじゃないでしょ。それはそうじゃない」と
言ってしまいそうだ。
そうすることで 自分でいいと思って発言した老人は落ち込んだり、不安に思う。
何を言おうが
「そうですね。そうなんです。そうなんですか~」
と、受け止め、受け入れ続けていれば、また同じことをあとで言うことになっても、
その瞬間は、自分の発言を認めてもらったということで、老人は満たされる。
これは、他人の方が客観的に向き合えるのかもしれない。
自分の親であれば、感情がまさったり、過去の歴史から、どうしてもその現実を
受け止めきれない・・。
最近、素晴らしい人物の存在を知った。
介護福祉士をしながら劇団を主宰する青年。
介護の現場では老人に演技で接し、気持ちよく安心されて喜ばれ、
演劇の世界では、高齢化社会の重きテーマを扱い、また高齢者を役者として起用し、
演劇から介護の世界を俯瞰し、メッセージを伝える取り組みをしている。
人間は、だんだん現実と想像の境目がわからなくなるのだ、それが認知症だというが
演劇も現実か虚構かわからない世界だ。
そういう点で共通点があるところに、この役者は目をつけた。
老人に対して「演ずること」ができる。
それは「寄り添う」という意味ではないだろうか。
私には、まだそのことが体得できていないから、
すぐ正しそうとしたり、怒ったり、つい真剣に向き合ってしまう。
なんだか一方的に、尽くすことは、
寄り添うことではない・・。
と最近、思えてならない。
年寄りにこうせねばならない・・と言い続けるのは酷なこと。
これは親の老いを認めたくないからの行動ではあるが。
だんだん、お互いにボケる。少なくともこちらはボケたふりして
うまくつきあう。
そんなことが大切になる。
そういう意味で、
私はまだまだ、全然、寄り添っていない。
一見、寄り添うという言葉が美しい感じであるので、だまされそうになるが
実はまったくそうしていない。
演劇と介護。
音楽と介護。
どうやら芸術は介護と相性が良さそうだ。
こちらももっと学ばなくては。
寄り添う・・という言葉は響きは美しいが、やさしくはない。
と最近そう感じ始めている。