そこにはいない、ここにいる。がいい。

お彼岸の連休。たまたま谷中霊園の中を通ったら、大変な賑わいであった。
家制度がある限り、墓地は維持され、守られていく。日本に独特の習慣であり、
文化なのかもしれない。
海外の墓地に行くと、少し様相が違う感じがするが、それぞれに意味があるのだと思う。

少子化、過疎化などの影響で、最近の墓地事情は変わってきて、また長寿社会になり
死生観もかわり、墓地や葬儀のありようもさまざまで、選択肢も増えた。

私自身は、葬儀も墓地も何もいらないとずっと思っている。
できれば、お骨は自分が生まれた、住んだ、行った国、町を流れる川や海に適当に
撒いてもらって、どこにでもいるように、自由にしておいてもらいたい。
水の流れで、風に吹かれて、世界をめぐるのは、自分の生き方に合っている。
また、冠婚葬祭が苦手で、そういうのもできる限り、ご無礼してきたし、これからも
そうするつもりであるので、自分のときも一切無用だ。
できればひっそりと、静かに…が良い。
と、かなり好き放題に書いているが。

特定の墓地にいなくても、どこにもここにもいるような・・そんな終わり方が
今のところ希望である。

一方、知り合いの葬儀に出ることが多くなった母親は、自分のときは賑やかに
送ってほしいと懇願している。ずっと生きるつもりなんだな~と思い、
苦笑しながら聞き流している。

お彼岸であるため、此岸と彼岸の交わりについて、
自分の形亡き後のことを、あれこれ考える。
そんな時間も必要だ。

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