月別アーカイブ: 2024年9月

「もう、慣れました」

新潟で十数年前から仕事を一緒にさせていただいた方と久しぶりに会う。今はその当時と違った仕事をされている。地元のまちづくりに尽力されている。自分が歩んできた道をふりかえり、経験を活かして最後は地元のお役に立つ。これがいいの … 続きを読む

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半世紀ぶり、母校のピアノ。

敬老の日に出演した、母校(小学校)での演奏会。体育館が会場だ。ステージの上から、会場にお集まりの傘寿をお迎えの方と、地元のお世話係の皆さんとともに、このピアノの音色とともにひと時を楽しむ。ステージというのは、ちょっと上か … 続きを読む

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しみじみ、ありがたき1日を経て。

お世話になってきた方々へ送った26周年のお礼メール。すでに連絡がとれなくなった方、もう会うことができない方も年々増えているが、それでも多くの方が、お祝いメッセージの返信をくださる。 そのひとつひとつに、お礼を送る。久しぶ … 続きを読む

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悔いなし26周年のスタートへ。

汗だくのステージ。敬老の日のお祝いコンサートということで、その寿ぎの気持ちをステージでいかに表現し、盛り上げるか。40分のステージは大変盛り上がり、参加された皆様に大きな拍手と、有難いお言葉をいただいた。とくに、父母と親 … 続きを読む

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25周年ファイナルの仕事は。

明日9月17日でグラン・ルー創設26周年を数える。ということは、今日が25周年の最終日。それなりにいろんなことをやった、やれた1年であったかなと思う。そして、ふるさとを意識しての活動が少し増えたかなと。おかげさまでのグラ … 続きを読む

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敬老の日に思いを寄せる。

もともとは、本日9月15日が敬老の日。正直、これまで「敬老の日」について、深く考えたことがなかった。もちろん、親がいた頃には、9月15日になると何かしらプレゼントをしたこともあったが、親が老人であることを認めたくない時期 … 続きを読む

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みんなで創ったステージの力

もう1週間が経った。ある企業の40周年記念パーティー。半年かけて、プロジェクトチームを作り、社員さんと一緒に準備をしてきた。どきどきわくわくの本番が無事終わった。どんなイベントも終わった瞬間から、過去の思い出になっていく … 続きを読む

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新世界へのあくなき探求心を

カマラ・ハリスの堂々とした討論でのパフォーマンスを見て、気持よくなった。人は言葉以上に見た目でも心動かされる。堂々としている存在感、笑顔、視線、声の伸び、話し方、そしてその内容。ああ、私がアメリカ国民だったら・・と思わず … 続きを読む

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アメージング・グレイスが流れた街へ。

9月11日。23年前の今日。(現地時間)NYで起きたあの同時多発テロ。もう思い出す人も少ないだろうか?私の中では、この日がくると、世界の転換を感じ、自らの運命についても考える。一言では言い尽くせないさまざまな思いが沸き上 … 続きを読む

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改めて、敬老を考える。

以前は9月15日が敬老の日であった。改めて、記念日の日にちが曜日で決められるようになったのは、とても残念。連休を増やすための施策であったと思うが、それ以上に、記念日には由来やその日である意味があるため、日にちが変わると、 … 続きを読む

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